雪化粧した田野は夜だと言うのに、仄かに明るかった。
私はこの途轍もない大自然の街灯が好きでたまらない。
『おや雪だるまさん、今年は小さいね。それにお仲間もいない。』
いつも冬にやって来る渡り鳥君が私の頭上のバケツに乗ってきてチュンチュン話し掛けて来る。
『雪の量が減って私はダイエットに成功したよ。仲間が減ったのは雪だるまを作る心の余裕が無くなったからね。私だって、毎年作ってくれるおじさんがやっと作ってくれたくらいだよ』
『ふ~ん』
渡り鳥君は人間の俗世間に興味がなさそうに飛び立って行った。
当たり前だ。彼は神の気紛れでできた気紛れな生物。同じ神の気紛れでできた人間の気紛れなどどうでもいいのだろう。
片や私は人間の気紛れでないと産まれない。
去年頃だろうか?人々の心の余裕が完全に無くなったのは。以前から心のゆとりが無くなっていた兆しが有ったが、それとは全く別の物だ。平和ボケの延長線上の心の余裕の無さではない。
では何が彼らの心に止めを刺したのか。
“戦争”だ。
私は雪だるまだ。 おじさんが語ってくれた、戦争のせいで全て台無しだ。その言葉でしか推察できない。 どんな戦争だったか、どんな悲劇だったか、雪だるまの私に知る由も無い。
しかし、神も残酷な物だ。 これだけ人々が傷付いているのに、お前たちの事は知らないよ、と言わんばかりに季節を進め、時間を進める。
人々にこの寒さは辛かろう。
やがて春が来る。私は溶ける。しかし人々の苦しみは溶けず、一生向き合わなければならない。
いっそのこと雪だるまならどれだけ気が楽だろう。
雪化粧した景色の仄かな街灯に雪だるまひとり。