<OSHOの講話より>
質問:ダイナミック瞑想の後、時が経つにつれ、もっと深く瞑想をすることが出来るようになるのですか?
時が経つにつれ、深みを経験し始めるだろう。深く、より深く進むことが出来るだろう。まるで井戸を掘っている人のように。彼は同じ道具で、同じ速さで、同じ方法で穴を掘り続ける。やがて土は取り除かれ、井戸は深く、深く、深くなっていく・・・水がどっと出て来る瞬間まで・・・。
永遠の水はそこにある・・・あなたがすべきことは、ただ土の層を完全に取り除くことだけだ。同じやり方で、同じ方法で、同じ道具を使って掘り続けなさい。何か変化を与えようか、どうしようかとくよくよしてはならない。
土の層は全て同じだ。ただ土を完全に取り除くことだけだ。水はその中深く、あなたを待っている・・・深い無意識の水が。あなたと、あなたの無意識のマインドの間に土の層がある。抑圧された波動の偉大な層が。
無意識への侵略と危険性に対するバリヤとして、あなたが生み出した抑圧された思考の層が存在する・・・、あなたが、あなた自身がこのバリアを作り出した。だから、掘り進まなくてはならない。
時が経っても、自分が前進しているとは感じられないかもしれない。なぜなら水に届いた時にのみ、内側の源泉が探求された時にのみ、それが感じられるからだ。そうなるまでは、乾いた土の上を依然として掘り続けることになるだろう。
それでも、それは同じ陸地ではない。というのは、あなたが掘って投げ捨てた土はもうそこにはないからだ。だが依然として、掘られるべきたくさんの土がある。
この掘ることだけが、あなたとあなたの瞑想に関わっている。それは、爆発そのものとは何の関係もない。爆発はクライマックスとしてやって来る。一瞬のうちにやって来る。それはあなたの中で爆発し、あなたがそれと共に爆発する。それは時を超えた出来事だ。
だから、ひたすら掘り続けなさい。その仕事は退屈で単調だろう・・・何か達成されるべきことが各段階にあれば、仕事は決して退屈しない。・・・成果を手にしつつあるので、野心はあなたを駆り立て、もっともっと多くのことを達成し得る。
だが瞑想の中のある地点に至るまでは、全ては退屈だ。全ては単調だ。たとえ同じではないにしろ、同じに見えてしまう。あなたは一瞬一瞬、深くへ深くへと進んでいるが、爆発が起こるまでは、どのくらい深く進んだかどうかの判断は決して出来ない。
それが起こる時、一瞬のうちにプロセスが完結することを、あなたは知る。その時まで、あなたは暗闇の中で万一を頼みながら、ただただ手探りをし続ける。そこからは何ひとつやって来そうに見えない。だがそれは突如としてやって来る。
瞑想に関するかぎり、その深さとは段階ごとに達成されるようなものではない。そこにあるか、あるいはないかのどちらかだ。
だから忍耐強くなければならない。それに当然だが、探求者各個人にとって、その流れる時間は異なっている。あなたとあなたの深みとの間に、どれほどの土を積み重ねて来たか、誰が知るだろう?
その層はとても薄く、ただの一掘りで届くかもしれないし、その層はとても厚く、幾多もの生を費やし、土を積み重ねて来たのかもしれない。だからそれは、個人によるだろう。
だが、ひとつのことは重要だ。忍耐・・・忍耐強くあること、そして結果を期待せずにすることだ。結果を期待せずにすることは、忍耐強くあるということを意味する。もしあなたが結果を切望すれば、それにあこがれれば、その時目的は失われる。結果を求めるのは、とても短気なことだ。
だが、もしあなたが瞑想の技法を忍耐強くやり続ければ、それ自体が変革をもたらす。どんな期待も持たないこと。忍耐そのものが偉大な変容だ。たとえ瞑想が達成されなかったとしても、あなたは変わるだろう。
なぜなら忍耐強くあることと、結果を求めず何かをすることは、とても大きなスタミナ、持久力を要求されるからだ。このスタミナは、次第に力を増していくだろう。
あなたと、あなたの最奥の場所との間にある、抑圧の層全体に爆発が起こり得る前には、時間が必要だ。もしあなたが自分の決めたことに関して全然我慢強くもなく、強い意志もなければ、爆発のショックに耐えられないだろう。
至福の爆発はとても強烈なので、それを包含できる充分な許容力が要求される。強い、内面的な意志が要求されるのだ。とても力強い意志が必要だ。
あなたとあなたの深さの間が薄ければ、あなたの意志が強くなる為に時間がかかるだろう。何の欲望もなく生きられる人は、偉大なる結果を達成できるようになる。そうでなかったら、彼には偉大なる瞬間は与えられない。
もし至福が、その準備が出来ていない時にあなたのもとへやって来ても、あなたはそれに耐えられないだろう。あなたは発狂し、永遠にバランスを失うだろう。それはとてつもない現象、宇宙的現象だ。大洋が一粒の滴(しずく)に流れ込むようなことだ!
あなたは、その為の準備をしなければならない。その準備は、あなたが忍耐強く、そして絶え間なく掘り続ける時にやって来る。結果を求めてはならない。忍耐強く待ちなさい。
これが、シュラッダ(SHRADDHA)が指す本当の意味だ。何か特殊なことへの信仰ではない。自分自身への信仰だ。誰か他人を信じるのではなく、自分を信じることなのだ。
時が経つにつれ、あなたはより深く進んでいくだろう。時が過ぎたという理由からではなく、あなたの忍耐ゆえにそうなったのだ・・・。というのは、あなたは結果を期待せずに、その単調さにも関わらず、耐えて来たからだ。
何ひとつ得ることなく、あなたは依然として進み続けた。たゆまぬ熱意で進み続けた。これが意志を生み出す。そしてこれが、あなたが爆発がやって来た時に、耐えられるような力を与えるのだ。
宇宙を宿すには、特別な成熟が必要とされる・・・妊娠するに必要な、確かな成熟が・・・。このスピリチュアルな妊娠の中で、宇宙があなたのもとへやって来る。それは、あなたの再誕生だ。
インドでは、それをブラフマンと言う。クシャトリヤとバイシャは二度生まれ、スードラは一度生まれると言う。私は「一度生まれるものはスードラであり、ふたつめの誕生を達成していないものはスードラだ」と言う。
だから私達は皆、スードラだ。不可触選民だ。なぜなら真正なるものが、まだ私達に触れてはいないからだ。だがこの再誕生は、あなたが忍耐強く、誠実であればやって来るだろう。
それを待ちなさい。祈りなさい。希望しなさい。だが急がずに。その爆発が起こる前に。
「グレート・チャレンジ」(市民出版社)より
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質問:ダイナミック瞑想の後、時が経つにつれ、もっと深く瞑想をすることが出来るようになるのですか?
時が経つにつれ、深みを経験し始めるだろう。深く、より深く進むことが出来るだろう。まるで井戸を掘っている人のように。彼は同じ道具で、同じ速さで、同じ方法で穴を掘り続ける。やがて土は取り除かれ、井戸は深く、深く、深くなっていく・・・水がどっと出て来る瞬間まで・・・。
永遠の水はそこにある・・・あなたがすべきことは、ただ土の層を完全に取り除くことだけだ。同じやり方で、同じ方法で、同じ道具を使って掘り続けなさい。何か変化を与えようか、どうしようかとくよくよしてはならない。
土の層は全て同じだ。ただ土を完全に取り除くことだけだ。水はその中深く、あなたを待っている・・・深い無意識の水が。あなたと、あなたの無意識のマインドの間に土の層がある。抑圧された波動の偉大な層が。
無意識への侵略と危険性に対するバリヤとして、あなたが生み出した抑圧された思考の層が存在する・・・、あなたが、あなた自身がこのバリアを作り出した。だから、掘り進まなくてはならない。
時が経っても、自分が前進しているとは感じられないかもしれない。なぜなら水に届いた時にのみ、内側の源泉が探求された時にのみ、それが感じられるからだ。そうなるまでは、乾いた土の上を依然として掘り続けることになるだろう。
それでも、それは同じ陸地ではない。というのは、あなたが掘って投げ捨てた土はもうそこにはないからだ。だが依然として、掘られるべきたくさんの土がある。
この掘ることだけが、あなたとあなたの瞑想に関わっている。それは、爆発そのものとは何の関係もない。爆発はクライマックスとしてやって来る。一瞬のうちにやって来る。それはあなたの中で爆発し、あなたがそれと共に爆発する。それは時を超えた出来事だ。
だから、ひたすら掘り続けなさい。その仕事は退屈で単調だろう・・・何か達成されるべきことが各段階にあれば、仕事は決して退屈しない。・・・成果を手にしつつあるので、野心はあなたを駆り立て、もっともっと多くのことを達成し得る。
だが瞑想の中のある地点に至るまでは、全ては退屈だ。全ては単調だ。たとえ同じではないにしろ、同じに見えてしまう。あなたは一瞬一瞬、深くへ深くへと進んでいるが、爆発が起こるまでは、どのくらい深く進んだかどうかの判断は決して出来ない。
それが起こる時、一瞬のうちにプロセスが完結することを、あなたは知る。その時まで、あなたは暗闇の中で万一を頼みながら、ただただ手探りをし続ける。そこからは何ひとつやって来そうに見えない。だがそれは突如としてやって来る。
瞑想に関するかぎり、その深さとは段階ごとに達成されるようなものではない。そこにあるか、あるいはないかのどちらかだ。
だから忍耐強くなければならない。それに当然だが、探求者各個人にとって、その流れる時間は異なっている。あなたとあなたの深みとの間に、どれほどの土を積み重ねて来たか、誰が知るだろう?
その層はとても薄く、ただの一掘りで届くかもしれないし、その層はとても厚く、幾多もの生を費やし、土を積み重ねて来たのかもしれない。だからそれは、個人によるだろう。
だが、ひとつのことは重要だ。忍耐・・・忍耐強くあること、そして結果を期待せずにすることだ。結果を期待せずにすることは、忍耐強くあるということを意味する。もしあなたが結果を切望すれば、それにあこがれれば、その時目的は失われる。結果を求めるのは、とても短気なことだ。
だが、もしあなたが瞑想の技法を忍耐強くやり続ければ、それ自体が変革をもたらす。どんな期待も持たないこと。忍耐そのものが偉大な変容だ。たとえ瞑想が達成されなかったとしても、あなたは変わるだろう。
なぜなら忍耐強くあることと、結果を求めず何かをすることは、とても大きなスタミナ、持久力を要求されるからだ。このスタミナは、次第に力を増していくだろう。
あなたと、あなたの最奥の場所との間にある、抑圧の層全体に爆発が起こり得る前には、時間が必要だ。もしあなたが自分の決めたことに関して全然我慢強くもなく、強い意志もなければ、爆発のショックに耐えられないだろう。
至福の爆発はとても強烈なので、それを包含できる充分な許容力が要求される。強い、内面的な意志が要求されるのだ。とても力強い意志が必要だ。
あなたとあなたの深さの間が薄ければ、あなたの意志が強くなる為に時間がかかるだろう。何の欲望もなく生きられる人は、偉大なる結果を達成できるようになる。そうでなかったら、彼には偉大なる瞬間は与えられない。
もし至福が、その準備が出来ていない時にあなたのもとへやって来ても、あなたはそれに耐えられないだろう。あなたは発狂し、永遠にバランスを失うだろう。それはとてつもない現象、宇宙的現象だ。大洋が一粒の滴(しずく)に流れ込むようなことだ!
あなたは、その為の準備をしなければならない。その準備は、あなたが忍耐強く、そして絶え間なく掘り続ける時にやって来る。結果を求めてはならない。忍耐強く待ちなさい。
これが、シュラッダ(SHRADDHA)が指す本当の意味だ。何か特殊なことへの信仰ではない。自分自身への信仰だ。誰か他人を信じるのではなく、自分を信じることなのだ。
時が経つにつれ、あなたはより深く進んでいくだろう。時が過ぎたという理由からではなく、あなたの忍耐ゆえにそうなったのだ・・・。というのは、あなたは結果を期待せずに、その単調さにも関わらず、耐えて来たからだ。
何ひとつ得ることなく、あなたは依然として進み続けた。たゆまぬ熱意で進み続けた。これが意志を生み出す。そしてこれが、あなたが爆発がやって来た時に、耐えられるような力を与えるのだ。
宇宙を宿すには、特別な成熟が必要とされる・・・妊娠するに必要な、確かな成熟が・・・。このスピリチュアルな妊娠の中で、宇宙があなたのもとへやって来る。それは、あなたの再誕生だ。
インドでは、それをブラフマンと言う。クシャトリヤとバイシャは二度生まれ、スードラは一度生まれると言う。私は「一度生まれるものはスードラであり、ふたつめの誕生を達成していないものはスードラだ」と言う。
だから私達は皆、スードラだ。不可触選民だ。なぜなら真正なるものが、まだ私達に触れてはいないからだ。だがこの再誕生は、あなたが忍耐強く、誠実であればやって来るだろう。
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