先日、セラケ山で、
大自然の中を歩いている時に感じたことを書きたいと思います。



セラケとは、ホンジュラス一高い山であると同時に、
自然の原生林がとても多く残る山です。


そこに残る原生林は、ちょうど屋久島の白谷雲水峡のような雰囲気であり、

鉱山で栄えた歴史の足跡を隠し込むように佇むブナの木々が
太古からの自然とは別の風景を演出している。


そんな場所でした。



一言でいえば、
セラケは


ただ国家最高峰の山というだけでなく、自然が作り上げた歴史がそのまま残された場所でした。



そんな山を登りながら、
昔、日本で富士山に登りながら、ふと感じたことを思い出した。





「この山が世界遺産になるなんてなれる訳ないわ。」



当時の自分は今とは違い世界遺産などというものに全く興味がありませんでしたが、

富士山が世界遺産になれなかったという事は知っていました。





富士山に登りながら、私はとてもガッカリしていました。


それは
日本最高峰の山を登っているという感動を与えるかわりに、
少し規模の大きなアミューズメントパークかスポーツクラブの中にでもいるような
感覚を私に与え続けていたからです。




駐車場に満杯の車、

歩くために整えられた道

親切な自動販売機

山小屋に荷物を運ぶ為のブルドーザーの跡

その時は見ませんでしたが、
夜登山のあと9合目あたりから下を見下ろせば、
もれなくヘッドライトの人口の川まで見ることができるでしょう。





5合目付近以降、まともな自然の木々がなくなる風土であることへ加えて、
それらの一つ一つが
「あの雄大な風景をかもしだす日本の象徴『富士山』に登っている」
という感動を奪っていきました。




下山時、
ハードなスポーツを友人たちとやり遂げた満足感とは裏腹に、

「こんな山が、世界の遺産になれるわけがないだろうよ。」


っと強く思っていたのを今でも覚えています。









さて、ここで少し、世界遺産のことへ話を移しましょう。





世界遺産に登録されるには
世界遺産登録基準を少なくとも1つは満たし、その「顕著な普遍的価値」を証明できる「完全性」と「真正性」を備えていると、世界遺産委員会から判断される必要がある。(原文引用)




世界遺産登録を目指す国・自治体はその妥当性を証明するために
多方向の角度からその顕著さ・登録への必要性をアピールするわけで、
当然、
富士山にしてもいくつもの登録への妥当性を主張してアピールをしていたわけです。



富士山の場合、その主張の大きな柱が

世界遺産登録基準の7番目にあたる

「ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの」




でした。



つまり、自然や自然美を理由に登録を目指そうとしたわけです。






さて、
ではここで富士山がアピールできる自然の観点とそれが登録理由に至らない
と思われる理由について見てみましょう。




①富士山自体の自然


これは、全くアピール材料にはなりません。
それは言うまでもなく、富士山自体に顕著どころか普通の自然もありませんので。



これだけでも無理なのに






さらに、


富士山にはゴミが多いという


「しょーもない」

おまけが付き、完全にダメです。
そして、これが一番有名な理由でしょう。

でもでもでもでも、


よく考えたら


マナーの悪い客が訪れるアミューズメントパークに
ゴミが落ちているのは何も不思議なことではありません。





②富士山の周囲の自然

富士山の周りには、樹海という「顕著な」大自然があります。
世界でもなかなか特徴的な森と人間の手の加わらない原生林をちゃんと残しています。


しかし、
「おー、いいアピール材料じゃん。」

とはなりませんでした。




一応、理由はそこが自殺の名所だからというのが広く喧伝されています。





③富士山の自然美


これは、富士山を遠くからみたあの美しい景色。
これは、いけそうな気がしますが、



ここに世界遺産登録要件の問題が立ちはだかります。






簡単に言えばですが、
似たような物件がすでに世界遺産として登録されている場合は
キャラが被るために、後の物件は登録されないわけです。


そして、これにあてはまると思われる自然遺産が
もうすでに登録されているのです。


そんな訳で、唯一の明るい光の3番もあてにならない事が強く予想されるわけです。






以上のような懸念から



富士山は世界遺産委員会へ日本から推薦されたことすらありません。


つまり、登録どころか、そのエントリー地点にすらまだ立ったことすらないわけです。










っとここまで、タイトルとは真逆のことを書き連ねて来たわけですが、

ここからが本題です。








自然遺産としての推薦を受けられなかった富士山側は、
「富士山とは何なのか」
を見つめなおしました。



富士山はそこにある自然が素晴らしいのではなく、

それを遠くから見た雄大で美麗な姿に人々が憧れを抱き

日本の「顕著」なシンボルとして存在としていることが

一番の特徴ではないのかと。





そこで世界遺産登録要件の軸を
7番から6番の

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの



へ変えたわけです。




自然の遺産ではなく文化の遺産へと。




しかし、




文化遺産としての登録を目指そうとも


富士山が誰でもが登れる手近な山であること。
ゴミ問題。
周辺の自殺の名所。
山小屋やブルドーザーによる景観的破壊。



これらは、登録への大きな妨げになることは変わらないのである。




それらは「入場制限」という方法で大きく改善されるわけである。







しかし、







しかし、









関係者はそのような方法を選ばなかった。
それは、富士山が日本人の心の象徴だからであろうか。




その山に憧れを抱く人を拒むというという方法よりも
全員の意識を高めるという地道で手間のかかる方法を選んだ。







富士山が日本の象徴なのであれば、


富士山を世界遺産にする活動こそ、日本人の性根・心活きの象徴なのだな。っと。






富士山に関わる人全ての心が一つになって

そして、いつの日か実り



「富士山が世界遺産に登録される日がきますように。」



っと遠くホンジュラスのセラケ山の山頂から願いを日本に向けて飛ばしてきました。















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