小・中学生の頃から自分の声を録音するのが好きで、つまり自分の声を聞きたいっていう単純な好奇心で、ヒマさえあればラジカセマイクに向かって何かしゃべってた。

それは自作した歌だったり、面白いと思ったギャグだったり、当時のニュースに対する意見だったりさまざま。

とにかくなんでもかんでもカセットに録音しまくってて、たまに弟や友人が登場したりしてわーわーやってる。

で、たまに夜中なんかに心細くなって、そのルールのない無法地帯のカセットテープを聞いたりする。

すると、まっすぐで迷いのない、本気で楽しんでいるときの自分の声にとっても癒される。

自分が言ったコトバに爆笑することがあったり、自分の無意識のクチグセに気付いたり、友人との会話が意図せず漫才みたいになる瞬間があったり、デタラメに作った歌が名曲だったり。

たった数分の録音行為がもたらす無限の発見が心地よい。


で、たまにだけど自分の悩みなんかも録音してたりする。


「俺こんなんでちゃんと就職できるのかなあ?どう思う?未来の俺」


「一生彼女できないかったらどうしよう。そっちはどう?未来の俺」


「明日の大学落ちたら人生終わるかもしれない。未来の俺、俺を応援してくれ!」


なぜか、悩みに関しては「未来の俺」へ話しかけている当時の俺。

そのときの俺は、このカセットテープを確実に「未来の俺」が聞くであろうことを疑ってもいなかった。

カセットなんか主流じゃなくなって、デジタルになることでラジカセそのものが無くなって、テープも処分されるか物置きのどこかに置き去りにされる。

そんなことは当然ながら微塵も思いつかない昔の俺。

カセットテープは必ず未来の俺に届くと信じて疑わない。


そう。


実際にカセットテープは常に俺の本棚に存在しつづけていた。

数回の引っ越し、一人暮らし、結婚、さまざまな環境の変化を乗り越え、俺はそのカセットテープを20年以上手元に置いていた。

それは、当時の俺が「未来の俺」へと託した、俺自身の遺産だ。

俺は俺を裏切らない。

それだけは確実。


先日、何年も聞いていなかったそのカセットテープをなんとなく聞いてみた。


「俺こんなんでちゃんと就職できるのかなあ?どう思う?未来の俺」

「大丈夫。立派にやってるよ」


「一生彼女できないかったらどうしよう。そっちはどう?未来の俺」

「かわいい女の子と付き合えるし、結婚もするよ」


「明日の大学落ちたら人生終わるかもしれない。未来の俺、俺を応援してくれ!」

「がんばれ!落ちても楽しい人生になるよ」



当時の俺に未来の俺が応える。

でもその言葉は、当時の俺には伝えようがないのはわかってる。

中学生の俺は、未来の俺の言葉など聞けずに悶々として日々を過ごすだけだ。

でも、頑張って欲しいって真剣に思う。


俺が俺を応援している状況でありながら、それは今の俺をとても勇気づける。

今の悩みも、きっとこの先の未来の俺が優しく聞いてくれているに違いない。

過去の悩みや頑張りが今の俺になっている。

今の頑張りは未来の俺につながる。


最高の人生おくってる?未来の俺!


きっと見てくれてるよね。

だから俺、頑張るよ。