ここ数日、自分の全てをかけて何かに取り組むひとの本を読んだり、話をきいたりした。
今日は何のご縁か、研究室にいこうとしたら、ポスターが眼に入って、よく見ると、ポスターを眼にしたまさにその時間から、アフガニスタン人の女性人権活動家の方の講演会が始まると書いてあったので、つい入ってききいってしまった。
その前は瀬谷ルミ子さんの本。私は彼女を世界で一番尊敬する。私は瀬谷さんのようになりたい。けれど私とすこし違う。
さらにその前が渋谷ギャルだった活動家の本。自分の命の全てをかけて、エチオピアの病気の人に寄り添ってた。
私と彼女たちとの決定的な違い、それは何かに自分の人生の全てをかけて努力、というか、注力するかということ。
私はそれをこれまでできたことがない。することがなかったのか。はたまた必要がなかったのか。したいと心から思わなかったのか。

でも今日銀色夏生の本を読んで、全部人生を注ぎ込まなくてもいいと思った。
私は私の幸せのためにあるのだから。
誰かを愛したらいいし、
クジラを愛でにいけばいいし、
世界中の綺麗な景色をみにいけばいいし、
地球の神秘をしればいいし、
海の青に染まればいいし、
うみ、育てればいいし、
笑えばいいし、
楽しめばいいんだ。
でも、私が感じたこと、おかしいと思ったこと、悲しいと思ったことに眼をつぶっちゃだめなんだ。
なぜならそれは、新たに悲しい思いをする人をうみだすから。
そしてそれが私にかえってくるから。
だってその責任の一端は私にもある。

私は私でよい。
私の幸せでよい。
私の幸せだけ追求したらよい。

でも、全力じゃなくていいから、おかしいと問わなきゃ。
全力じゃなくていいから、弱くてもちっっさくてもいいから、こんな世界でいいのかと叫ばなきゃ。
だってそれは、そう感じながらもほっておいて、新たに生み出す悲しみは、私を傷つけるのだから。

私は言いたい。
おかしい!
なぜエチオピアは貧しいのか!
なぜソマリアはこんなに苦しむのか!
なぜイラクの子どもたちは、白血病と複合ガンで死んでゆくのか!
この悪夢の現実と、その悪夢を生み出したモノ、モノを生み出したひとも国も、本当にこのままでいいのか?本当は変えたいんじゃないの?

本当は誰も小さな子どもに苦しい痛いと泣いてほしいんじゃないんじゃないの?
本当は、みんな子どもに幸せになってほしいんじゃない?
だったら変えてかなきゃ!
おかしいよ!!