東日本大震災から12年。
あの日、都内で帰宅困難者になり、
翌日3月12日に電車が動き、
やっと帰れた。
しかし帰りの電車と駅は、
地獄絵図だった。
ものすごい混雑で息苦しかったし、
やはり電車はスピード緩めていて、
いつ着くかもわからなかったし、
さらに池袋から丸ノ内線に乗ったら、
赤ちゃんを抱っこして立っている女性がいて、
その赤ちゃんもかすれた声で泣き出し、
ぐずり出してしまった。
おそらくその親子も帰宅困難者になり、
一晩、避難所で過ごしたのだろうか。
赤ちゃんが泣き出したが、
誰一人として、
席を譲ってあげようとする人がいなかった。
みんなそれどころじゃないからね。
さらに、さらに、
大手町駅の東西線ホームで待っていたら、
孫二人とおばあちゃんで待っていて、
そのおばあちゃんが、
足をおかしくしてしまい、
その場で倒れてしまった。
お孫さんはどうする事も出来なかったが、
駅員さんがすぐに駆けつけ、
さらに車椅子もすぐに持ってきてくれて、
駅員数名がかりで、
そのおばあちゃんを車椅子に乗せてくれた。
あの時の東京メトロの駅員さんは、
迅速で、落ち着いた行動でした。
駅員さんだって、
帰宅困難者だったかも知れないし、
仮眠室で一晩過ごしたかも知れない。
そしてようやく帰宅したら、
テレビのニュースを見て、
「福島第一原発…」って報道されて、
ぞっとしてしまった。
自分の部屋にあった物は、
下に落ちていましたが、
幸いにも何も壊れてませんでした。
香水瓶やCDはタンスの上に置いていて、
揺れた反動でタンスが全て開き、
タンスに入っていた服が、
クッション代わりになって、
全て物は無事だった。
そして今は、
息子を連れて遠出の際には、
必ず、赤ちゃん用飲料と、
常温でも食べれる離乳食を持ち歩いている。
避難所はどこになるかわからない。
避難所だと、
お湯が使えないからミルクが作れないし、
授乳なんて絶対に無理。
避難所で出される非常食は、
赤ちゃんが食べれる物が、
あるとも限らないからね。
311では、
帰宅困難者向けに、
公立学校の体育館の解放、
デパート解放、
ホテルのロビー解放をしてくれたが、
粉ミルクを作るのも、
授乳するのも厳しそうだからね。
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