私が、「人生、よくばリス」
このお正月にも、2016年に一緒の病室で過ごした方々から年賀状もいただきましたし、お電話をいただきました。
普段も、お手紙や電話、そして、さんま
や手編みの毛糸の靴下など贈り物も下さいます。
電話では、体調を気遣ってくださったり、次の外来の日程を尋ねられて伝えると、外来の日に病院まで会いに来てくださることもあります。

本当に、みなさま、優しくてあたたかくて、感謝感謝です。
ところが、そんな優しい方々が年に一人は亡くなられていかれます。
2017年3月に、入院中お向かいのベッドでとても楽しい方でいつも、冗談を言って笑わせてくださっていた方が亡くなりました。その方とは、2016年の9月の一ヶ月間お向かい同士で過ごし、一旦二人とも退院したものの、2017年の2月に、また同じ部屋に入院して、今度はお隣同士のベッドでした。
私は退院したのですが、その方は、そのまま退院することはなかったそうです。
悲しいしらせを知ったのは、北海道新聞のおくやみ欄でした。北海道新聞では、おくやみ欄は一面あり、全道の地域の亡くなられた方々の名前が載せられます。
それで知りました。
2018年12月には、2016年の9月に一ヶ月隣同士のベッドで過ごし、退院してからも、お葉書や電話を下さり、毛糸の靴下も編んで送って下さり、私が2017年の秋に入院したときも手作りのストラップやみかんを一箱もってお見舞いに来てくださったり、近くまで買い物に来られたときはうちまで寄ってくださり牛たちにも挨拶をしてくださったかたが亡くなりました。
亡くなったことを知らせる電話が息子さんからあったのは、調度定期診察の前日のことでした。
次の日、病院で診察とイラリス注射をしたあと、お宅によらせていただき、御香典をさせていただきました。
2019年5月には、2016年の夏に札幌の大学病院の同じ病室に入院していたかたが亡くなりました。
でも、それに気がついたのは、2019年の9月6日でした。5月までは頻繁にメールなど連絡があったのですが、ピタリと止まってしまい、気になりはじめてはいたのですが、胸騒ぎがしてこわくてこちらから連絡できないでいました。が、9月6日に勇気を出してメールを送ってみました。
9月6日に連絡をとったのは、ちょうど一年前の2018年の9月6日、北海道厚真地方を震源とする地震があった日だったからです。2018年のその日、その方は震源地の近くにすんでおられたので、心配でメールをおくり、夜には電話でお話しすることができました。が、それが最後にきいた声となりました。そのあとは、メールと年賀状のやり取りをしていましたが、2019年5月に途絶え…9月6日、電話をしてから一年たったこともあり、数日後にはそのかたの大好きな演歌歌手さんのコンサートがあるというのもあり、そのことでメールを送ってみることにしました。
が、エラーメールがやはりかえってきてしまいました。
そして、きちんとしたお知らせが娘さんからあったのは、2019年の12月。喪中を知らせる葉書が届き、5月に亡くなったことが書かれていました。
今でも、その方が大好きだった演歌歌手さんの姿をテレビでみたり、ラジオで歌声をきいたりする度に、あの方の顔が浮かんできます。
札幌で入院していた頃、毎日私に声をかけて下さり、励ましてくださったかたで今でもあの笑顔と笑い声がきこえてくるかんじです。
みなさん、まだ、70代でした…
もう連絡をとることはできませんが、入院中も、退院してからも、ずっと元気を下さり、その言葉の数々は私の中に残っており、亡くなった今でも、みなさんの言葉や一緒に過ごした日々の記憶が、ふと頭に浮かびます。
今日も、昨年亡くなった方の娘さんに寒中見舞いを書くときに、思い出がたくさんよみがえりました。
本当に、人との出会いはとても大きく素晴らしいものだと思います。
これからも、これまででって来た方々と大切に時間を過ごし、これから出会う方々とも大切な時間をあたたかく過ごしていきたいなと、おもいます。
人との出会いをよくばリス
