親族が立て続けに亡くなり、暗い日々を過ごす 社会人編  | 不安→安心へ。そして夢と置き忘れたものを思い出す。やがてワクワクの明るい未来へと繋がる

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不安を安心に変えよう。安心からやがて楽しさへ。あきらめていたものを思い出して、また思い描いて、叶えていく。繋げる・繋がる未来安心コンサルタント

訃報が届きました。母方の祖父が突然亡くなりました。

朝の5時にメールが届き、どうしていいかわからず、出社したら、
急いで帰るように言われ、仕事を引き継ぎ、帰省しました。

営業企画部の上司が人事異動で変わりました。変わった人は、反りが合いません。

それから1年後のまた12月、今度は父方の祖母の訃報が届きました。
1ヶ月後の1月、父方の祖父の訃報が届きました。
また1ヶ月度の2月、伯母の訃報が届きました。
同月2月、母方の祖母の訃報が届きました。

3ヶ月連続で4人の親族が亡くなりました。

心が暗闇です。

変わったばかりの上司に訃報を知らせると、

「えっ、また帰るの?」

と言われました。

酷い、前の上司だったら、もっと違う言葉をくれるはず。。

3ヶ月連続で帰省するのは、たしかに仕事に穴を開けて、ご迷惑をお掛けするのは
間違いありませんが、悲しい気持ちが深まります。

その新しい上司は、赴任して1年で、他所に異動になりました。
私だけでなく、他の人もきっとその人に対して、同じ印象だったのでしょう。


一気に4人の親族が亡くなり、

母から
「お父さんは、おばあちゃんが亡くなってから、死にたい病にかかっている」

と連絡がきました。

あの勝気な姉ですら、葬儀の際に
「お母さんから生まれてきたから、お母さんに看取られて死にたい」と言うようになっていました。

「私もそれに賛成」と言ったら、母に悲しそうに怒られ、

「母よりも1分でもいいから長く生きること」を約束させられました。

気力がなくなってしまった私は、性格が暗くなりました。

「私が生きている理由は、
母と約束しているから、その理由を守っているから、今も生きている」
そんなことを言っている状態です。

心配した彼氏が、元気づけようと三重県に連れて行ってくれて、
伊勢えびをご馳走してくれたりしましたが、(私は食べ物で1番海老が好きだったんです)
元気になりませんでした。

それまで、わたしから別れようと4回切り出しても、別れてくれなかったのに、
その後、彼から

「明るい私のことが好きだった」と別れを告げられました。

友達も離れていき、私は1人になってしまいました。



そんな中、明るい兆しがラブラブ

従姉妹が結婚し、赤ちゃんが生まれました。


早速、会いに行きました。

かわいいです。

赤ちゃんを見ていて、「亡くなる命もあれば、生まれてくる命もあるんだ」と思うようになりました。


赤ちゃんを見ていて、親戚にみんなが優しい笑顔になっています。久しぶりに明るい雰囲気です。


「わたしも、家族を増やさなきゃ」

元気が出てきました。


また、

「どうせ生きていかなきゃいけないのだから、死んだように生きるよりも、イキイキと楽しく生きて行きたい」

と感じました。