「敗戦責任の明確化」こそ
戦没者への何よりの鎮魂
戦後の日本は 鎮魂が済んでいない

大東亜戦争の「敗戦責任」に、時効はない。


この責任を追及しなかった代償は、今日まで引っ張っているので。

我々は、あの戦争で戦わずに餓死した100万の将兵に、何という言葉を手向ければいいのか。

戦没者の鎮魂とは、祭壇に花を添える事でも、閣僚が頭を下げる事でもない。

東京裁判で裁かれなかった、真の責任者。
即ち、自殺点の連打で、味方が味方を殺す形で祖国を大敗北させた(主に海軍の)指導者達の、敗戦責任を明確にする事。
これでしかない。

「敗戦責任の追及」も出来ないなら
日本は敗戦国のまま

今の日本国家は、信用したくても、信用できない。

命をかけて尽くしたくても、尽くせない。

忠君愛国の誠を捧げるのに、ふさわしい国ではなくなった。

上層部の無能・無責任と敗戦責任を棚に上げて国民に「戦え」と言っても…。