味方に殺された英霊達
1944年(昭和19年)10月の大本営海軍部によるウソ発表の「超・大戦果」台湾沖航空戦の大誤報により、比島決戦の戦略は根底から狂いました。
しかし海軍上層部は、ウソ発表の「大戦果」に気付いた後も、それを訂正しませんでした。
天皇陛下の詔勅まで賜っておきながら、今更「まったくの間違えでした」と、言い出す勇気がなかったのです。
だからウソ戦果をウソ戦果と知りつつ、訂正しませんでした。
国家の大義の己ではなく、単に己の面子の為です。
しかし、東京の中央にある海軍上層部の官僚達のこのほんのわずかな自己保身的な考え方が、遠くに行けば行くほど遠心力が働いて、味方をなぎ倒します。
死者50万人の比島決戦のその膨大な死者数の責任の大半は、海軍上層部にあると私は確信しています。
敵に殺されたなら諦めもつくが
味方の不作為・自己保身のシワ寄せで死んだなら
その恨みは万年までも消えない
この戦死した方達は、敵と戦って亡くなった方よりも、餓死や戦病死の方が多い。
海軍エリート官僚が、陸軍を中心とする友軍50万人もの死者を産んだのです。この事に触れる人は、何故かほとんどいませんが、これについては改めてゆっくり論考いたします。
今回はまず、触りだけ…。