人は失ったものと引き換えに
宝を授かる
そもそも私はよく、毒親育ちに「あきらめろ」と言います。
毒親育ちは、失った物が大き過ぎるから、普通には生きられないから。
しかしそれは、
「人生を全てあきらめろ」
という意味ではなく、
「受け入れろ」
という意味です。
毒親育ちと愛され育ちは、現代人と縄文人くらいの差があります。
会話なんて通じない。もう別人種。
ただ、毒親育ちは悲観し過ぎてはいけない。
親から自己肯定感を与えられないで育った毒親育ちは…。
その凄まじいハンデを背負いながら、生きて来たんです。
逆流の川を、全力で漕いで来た様なもんです。
それは凄い事だし、誇りに思うべき。
毒親育ちは、単に幸せに育ったならば、到底得られない様な素晴らしいものを持っている場合が多い。
そこに気づいて欲しい。