とにかく、幼児期にその因を見る「男性失格者の刻印」、「親殺しの感情」、「理想の父性や母性への愛憎入り混じる感情」、そしてその暗く歪んだ生育環境に由来する狂気性、「狂の精神」「溢れ出す情念」…。

これらのフィルターを通じて、三島先生の個々の文学作品をもう一度読み直して下さい。
三島先生の根底にある本質が、よく理解できると思います。

※「情念」とは
「情念」を辞書で引きました。
「感情が刺激されて生じる想念」「抑え難い愛憎の感情」「に深く刻み込まれ、理性では抑える事の出来ない、悲・喜・愛・憎・欲 等…。
「親殺し」のテイストと並んで、まさに三島文学の根底を重低音の様に流れる要素です。

三島先生の幾多の作品群は、
形を変えた親子の葛藤?
愛憎入り混じる「父への復讐」と愛情飢餓感


『英霊の声』に見られる晩年の昭和天皇批判も、三島少年が幼児期に抱いていた「父なるものへの憧憬」や愛憎入り混じる感情を、昭和天皇に投影している所から始まっているのではないでしょうか。

だから市ヶ谷台における自決も、「愛憎入り混じる感情を抱いている父親への反逆」が、根底にある気がします。

自分を幼児期に愛してくれなかった実父を困らせて復讐したいという無意識の願望が、根底にあったのでは、と私は見ています。

或いは、(三島先生は幼児期に祖母によって男性性を剥奪されていますから)「俺はこんなに強い男なんだ」という事を、亡き祖母に、実父に、そして自分自身にデモンストレーションしたいというインナーチャイルドの叫びとか。

つまり、「男性性を示す」とか「男らしさや強さを前面に出す」という、どうしても叶えられなかった幼児期の願望の成就。といった暗い情念ですね…。