三島少年の「男性性」を剥奪した祖母


三島先生は12歳まで両親からほとんど隔離され、祖母・平岡夏子の下でほぼ監禁状態で育てられました。
三島先生を語る上で絶対に欠かせないのが、この祖母・平岡夏子です。
三島先生に、生涯で一番影響を与えた人物だと思います。

夏子の祖父・永井尚志は徳川幕府の旗本。
そこから勘定奉行、外国奉行、軍艦奉行を経て若年寄に抜擢された人物。
夏子の父親は、大審院判事(最高裁判事)。
夏子の母親は、宍戸藩藩主・松平頼位が側室との間にもうけた娘。
夏子自身は、12歳から17歳で結婚するまで、皇族の有栖川宮熾仁親王に仕えます。
要するに、気位の高いお嬢様みたいな人。
そして夏子の夫・平岡定太郎(つまり三島先生の祖父)は、帝国大学法科大学(東大法学部)を出た内務省のエリート官僚。
福島県知事を経て樺太庁長官となります。

夫の人生がこのまま順調に進めば、夏子の人生は安泰だったでしょう。

ところが…。
大正3年(1914年)の樺太疑獄事件により、夫は失脚。借金の取立てに取り立てに追い立てられる事になります。

雅な宮廷ロマンを夢見続けた、気位が高い夏子はヒステリーを起こして神経を病みます。
「古い家柄の出の祖母は、祖父を憎み蔑んでいた」(三島由紀夫先生『仮面の告白』より)
偏執狂的に病んだ祖母・夏子の最大の被害者が、幼少期の三島先生です。
「最愛の孫だけは手放すまい」
自己喪失した祖母が自分の心の空白を埋める依存の対象として、幼少期の三島先生は祖母の部屋に幽閉・監禁され続け、慰み物扱いを余儀なくされます。
「危険だから男の子と遊んではいけない」
「女の子とだけ遊びない」
こういう環境で、幼少期の三島先生は育てられたのです。