明治新政府による

西洋崇拝的な文明開化こそが悪の始源

文明開化とは
今日の「グローバルスタンダード」の事

「明治の文明開化」や「大正デモクラシー」
といった西洋崇拝の悪弊を捨てて
今こそ日本的な価値観に復古すべき

これら明治初頭の文明開化や脱亜入欧政策が、「亡国の大正デモクラシー」の遠因です。     

これは、1871年に使節団としてアメリカに上陸した岩倉具視がマゲを切って洋装になった時点から、本格的なブーストがかかります。

つまり、諸悪の根元は、長州閥主導による明治初頭の文明開化・欧化政策(西洋崇拝主義)に行き着くと思います。

明治に開国した時に、田舎から出てきた長州藩出身の政治家達が、西洋文明のきらびやかさに酔ってしまったのです。

※明治政府が行なった事は、薩長土肥出身者の特権階級化と、華族を作る事。 

「四民平等」なんかウソで
江戸時代以上の格差社会が出来た

明治9年(1873年)の「廃刀令」も
日本弱体化・武士道蔑視の始まり

つまり明治新政府の後ろ楯は西洋であり、明治新政府は西洋文明への憧れと劣等感の上に築かれました。
なぜなら、長州潘はイギリスの後ろ楯で維新を遂行したので、明治新政府にはどうしても西洋コンプレックスがあるのです。   

それが、あの気持ち悪い鹿鳴館マインドにつながり、大正デモクラシーまで地下水脈の様に流れています。いずれも根底にあるのは、西洋崇拝主義。 

そして文明開化以降の日本の指導者層やインテリ達によるこれら一連の「西洋人の真似事」は、常に上滑りなのです。
つまり、西洋人の「精神」は学ばないで、西洋文明の「上っ面」だけ取り入れているのです。

しかし、日本の土壌に根付いておらず、日本の土俗性と馴染まない文明開化思想や西洋啓蒙思想では、「日本の魂」を守れません。 

「教育が高い者ほど、日本精神が薄い」
     東京帝国大学名誉教授 吉田熊次 博士

この西洋崇拝の源流は、「6世紀の仏教伝来に遡る」というのが私の見方です。
もしくはそれ以前の弥生時代の鉄器文明の伝来から、かも知れません。
当時は、舶来の物が輝いて見えたのだと思います。
本当は日本が一番なのに…。

唯物思想はサタニズム 

唯物思想は悪です。
物質文明の発展というのは、まず精神性の向上が伴わなければ悪になります。   

京都なんかでもよく見られるのですが、伝統が息づく景観を破壊する様な、近代的な建築物。 
鹿鳴館もそんな感じだったのだと思います。
まわりはまだ江戸っぽい街並みなのに、そこだけ近代的で、という感じで。            

今日まで続く「鹿鳴館」の悪影響
〜渋谷駅周辺の再開発〜

いずれにせよ、明治政府がやった事は「日本らしさ」を捨てた、西洋の物真似です。  
あの気持ち悪い鹿鳴館は、まさにそうです。
しかしそのDNAは、今日まで地下水脈の様に続いています。
渋谷の街って、常に再開発の工事をしていて、年を重ねるごとに近代ビルが立ち並んでケバケバしさを増していますが、あれなんか完全に「現代の鹿鳴館」のマインドです。

私は、ああいった近代的でケバケバしい物質文明発展の陰に、唯物思想的な悪魔性を感じます。

まさにバベルの塔です。
聖書にも「目に見えるものを拝んではいけない」と書いてあり、物質崇拝を悪魔だとしています。


※江戸時代は260年間、戦争がなかった。
明治政府は、1868年 会津戦争・函館戦争
      1874年 佐賀の乱/台湾出兵
      1876年 神風連の乱
      1877年 西南戦争
      1894年 日清戦争
      1904年 日露戦争
      1914年 第一次世界大戦
      1918年 シベリア出兵
      1927年 山東出兵
      1928年 張作霖爆殺事件
      1931年 満州事変
      1937年 支那事変
      1939年 ノモンハン事変
      1941年 対英米開戦

と、10年に一度以上のペースで、国内戦争や対外戦争・戦闘をしている。