右から、陸軍特攻隊 第75振部隊 山口利雄 先生。

中央は、同期生の陸軍 特攻志願兵 三橋利雄 先生。

山口利雄 先生
昭和18年、日立第一工業青年学校(現・日立工業専修学校)2年の17歳の時に、民間の飛行機会社のパイロット試験に合格しました。
そこから「お国の役に立ちたい」との気持ちで陸軍に志願。

先生は、指を切って血が出た指を筆にした血書嘆願で、特攻隊に志願しました。

「当時の我々は皆、敵の本土攻撃を食い止めるには体当たりしかない、と必死でした」(山口先生 談)

遺書と遺髪、肩身の爪を家族宛に送り、陸軍特攻隊 第75振武隊の一員として、上空1500メートルから地上20メートルまで急降下する特攻訓練を続けていました。

ところが昭和20年(1945年)4月。
19歳だった山口先生は、仲間達が特攻出撃する中、虫垂炎の後に肋膜が破裂する病に見舞われて、40日間の入院生活を送る事に。

一緒に訓練を行い、入院中は「早く治して来い」と激励してくれた特攻隊の隊長や仲間達が次々と特攻出撃して行った万世飛行場から、先生ご自身も出撃する予定でしたが、ようやく退院した一週間後に終戦。

2017年にインタビューしましたが、

「最近、かつての仲間達が最後に出撃した鹿児島の万世飛行場に慰霊に訪れた」

との事でした。