三橋利雄 先生


大正15年(1926年)生まれ。

終戦時は、本土決戦に備えた利根兵団83部隊に所属。
本土決戦に向けての準備、即ち米軍による本土上陸の際に爆弾を抱いて敵戦車に潜り込む訓練をしていました。
タコ坪を掘って待機して、敵戦車が来たら爆弾を抱いて敵戦車に体当たりして一人で一台を破壊するという、鬼神をも哭かしむる攻撃法です。

三橋利雄 先生のお話
2017年 91歳時インタビュー

敵は房総半島・茂原から来る。
その上陸に備えてました。
部隊の500人が全員体当たりに成功出来たら、敵戦車500台を破壊できる。
「自分が死んでも、多くの日本人を守るんだ」
みんなそういう気持ちでした。

本土決戦は、勝つと思っていました。
気持ちでは負けない。絶対に負けない。絶対にやってやる。精神力で絶対負けない。

そういう気持ちは今でもあります。
都会は大分、薄れて来ているかも知れませんが、茨城では今でも日本人としての魂が強く残っています。

ただ、確かに今考えると、本土決戦はやはりやらないで良かった、とは思いますね。

…何事も気合い…。

「病気も気合で治した」とおっしゃる三橋先生に、かつての陸軍軍人の面影を見るようでした。
91歳 2017年の時点で、凄まじい気迫でした。