※①の続き

そこでまずご紹介させていただくのは、旧海軍軍人にして戦後は『那覇大綱挽保存会』理事長。
そして那覇市議(社会大衆党)を三期勤めた東江芳隆 先生です
 
東江先生からは、沖縄戦だけでなく、本土では得られない様々な事を学ばせていただきました。

そもそも沖縄は、歴史学だけではなく民俗学の宝庫です。
「沖縄に今も奇跡的に根強く残っている縄文神道こそ、これからの人類を切り開く鍵なのではないか」
 
「沖縄の縄文神道こそ、最も古くて最も新しい価値観なのではないか」

そんな気付きも得られました。

これらの縄文式の琉球古神道や古琉球民間伝承について、東江先生は私に色々教えて下さいました。
それらについては、また改めて。

海山遠く 隔つとも 
その真心に 隔てなく
(『蛍の光』三番)
 
東江芳隆先生のお名前は、日本本土ではあまりご存知ない方が多いと思いますが、地元那覇では保守・革新の枠を超えて広く愛され、相当な名士です。

東江先生は、大正13年(1924年)10月10日、沖縄県久米島具志川村字鳥島のお生まれです。
(沖縄の方ならわかると思いますが、何と10月10日が誕生日というのも、因縁を感じます…)

東江先生を知る多くの方が賞賛するのが、先生の行動力と情熱、誠意。
そしていつまでも青年の様な溢れんばかりのひたむきさです。

それゆえに交友関係も広く、1988年に半生をつづった自伝『大きな綱』を出版された際には、沖縄県知事の大田昌秀氏、那覇市長の親泊康晴氏、那覇市議会議長の上原清氏、ギネス本社編集長のマイケル・フェルドマン氏といった錚錚たる方々が推薦文を寄せています。

私がお会いした頃には、すでに第一線を退かれて悠々自適の生活を送っていらしたので、私は何度か楚辺のご邸宅にお邪魔してお時間をいただき、そこで先述の様なお話をたくさんお聞きしたのです。

沖縄戦での地上戦闘の話、ひめゆり学徒隊の話、水路研究技師として南米ベネズエラで奮闘されていた話、戦後の那覇綱挽きギネス認定の話、その他琉球古神道の話、沖縄伝統文化の話…。

ご自身がよくおっしゃっていた、「沖縄は縦割り社会ではなく横割り社会」「イチャリバチョーデー(出会った人は皆兄弟)」を地で行くかの様に、私みたいな「ヤマトンチューの若造」に対しても全く偉ぶる所が無く、ほとんど「対等な友人」として接して下さっていた気がします。

様々なお話をされる東江先生からは、どこまでも抜ける様に青く、どこまでも夢を吸い込んでくれる様な那覇の大空のごとき透明感、気宇壮大さを私は感じていました。

果てしなく深い青い海と、果てしなく広がる青い空。
これこそが、かつて大陸に大洋に繰り出して行った冒険心溢れる海洋民族たる琉球人のDNAであり、東江先生のアイデンティティーの根幹だと、つくづく私は思いました。

東江先生からいただいた幾多の話は、ぜひ多くの皆様に知っていただきたいので、先生の肉声とご著書からの引用を交えて、詳しく述べさせていただきます。
※③に続く