話を戻します。
いかに「東京裁判的な歴史観の打倒」を叫んでいても、「海軍善玉 山本五十六英雄」論にまんまとだまされている人達というのは、自分で気付いていないだけで、悲しいかな、実は東京裁判の歴史観に骨の髄まで染められている人達なのです。

「大きな嘘ほどだましやすい」
(ドイツの宣伝大臣 ゲッペルス)

本人に、そうと気づかせないのがマインド・コントロールです。

長い間、保守派もまんまとだまされて来たわけです。
「山本五十六は部下が死んだ時に泣いていた」
「部下想いだった」
「人間味溢れる人だった」
「開戦には反対だった」
「素晴らしい人間提督だった」
「~という名言を残した」
等という、まるで宗教団体の教祖にでも捧げるような、蜜の様に甘い賛辞で。
情緒に流された耳障りのいい言葉で。
「名言を残した」なんていう褒め言葉は論外で、軍人に対しては結果で評価すべき。

「陸軍に抗した親米派の平和主義者」「部下思いの人間提督」等と、エセヒューマニズム丸出しの俗耳に入り易い言葉で、戦後社会で手放しで賞賛されている山本五十六は、驚くなかれ何と実は「大日本帝国の人間」ではなかったのです (詳細は別の項で)。

世界最強の日本海軍をたった一人で全滅させてしまう筈です。
陸軍を見殺しにする筈です。

戦争前半まで世界最強だった帝国海軍を自滅させた山本五十六を盲目的に礼賛する人達は、
実は自分が日本の亡国に加担しているという事に気付いていない

保守派の中にも白痴丸出しに、

「山本五十六は結果的に何千何万の日本人を死なせる事になったけど、部下思いの人だったし、一生懸命やったんだから失敗の責任を追及しなくてもいいじゃないか」

等と主張する愚人がいますが、このように思考停止した無邪気な考え方は、二百万柱の戦没者への最大の冒涜です。

死体解剖的に、戦争指導者の信賞必罰を明確にして「敗戦責任」「失敗責任」の所在を浮き彫りにする事が、戦没者への最大のご供養です。
それ以外にある筈がない。

「国家上層部者の失敗の責任は追求されない」という、そのような無責任主義・事なかれ主義・情緒的情実主義こそが、今日もまた国を滅ぼしている真の原因だという事に、上記の保守派は気付いていない。

ダンテではないが、地獄への道は中途半端な善意で舗装されているのです。
「愚」は「悪」よりもタチが悪い。
国家は「悪」ではなくて「愚」で滅ぶのです。
外患によらず内憂によって滅ぶのです。

共産党思想や金日成のチュチェ思想は、「悪」ではあったが「愚」ではなかった。

しかし東京裁判の歴史観の申し子たる「海軍善玉 陸軍悪玉」論や「山本五十六英雄」論は、完全に「愚」です。
しかもただの「愚」ではなく、日本社会の死命を制する致命的な「愚」です。

日本社会に毒の注射が打ち込まれたも同然です。
その毒は、戦後日本の体全体に行き渡ってしまった。