「太平洋方面には深入りせずにサイパンでとどまって、海軍は全力でインド洋に行け」
という国家戦略に真正面から叛いて、日付変更線や赤道を越えてミッドウェーだガダルカナルだと、補給が不可能になる攻勢終末点の遥か向こうにまで戦線を広げて、彼の地に大量の陸軍派兵を要求してしかし到着後に武器弾薬・食料を送らずに何十万人単位で餓死させ、大敗北を喫した山本五十六達 連合艦隊司令部。

その罪、万死に値します。

彼らの敗戦責任に目をつむって個々の兵士の奮闘を賞揚するのも「木を見て森を見ず」です。

「敗戦責任の追及」をしないでただ戦史を忠実にリポートするだけでは「上滑り」です。

個々の戦闘にこだわっていると、大東亜戦争の全体像が見えなくなります。 
 
また、山本五十六を賞賛する戦後のインテリ作家達は「五十六擁護」が先にあって、国益は二の次三の次。  

「左翼的な反日自虐史観」
「阿川弘之的な海軍善玉史観(山本五十六英雄論)」
は、実は異腹の兄弟 

前者はソ連崇拝
後者は英米崇拝で
両者は共に大正デモクラシーの末裔

両者ともに底流でつながっている

重ねて言いますが、国家と海軍を滅ぼした山本五十六を倒錯的にも賛美している人間というのは、愛国の仮面を被った「内なる敵」だと思います。

「内なる敵」こそは、本当の敵です。

※と言いますか、日本の学界には、「山本五十六を称賛する専門の文壇工作員」というのがいるのではないでしょうか。
あくまで仮説ですけど。