ここで非常に面白い例があります。
山本五十六・米内光政・南雲忠一・岡田啓介・服部卓四郎・瀬島龍三・辻政信等始め、昭和史において日本を破滅に導いた軍人達の出身県をたどってみて下さい。

日露戦争を勝利に導いた将軍のほとんどが、旧薩長出身だったのに比べ、大東亜戦争の敗軍の将達の出身県の多くは、東北・北陸に集中しています。

これらの地域は、戊辰戦争時に幕府側たる旧「奥羽越列藩同盟」に属するか、もしくは地理的に近く心情として「幕府寄り」であった藩なのです。

「山本五十六が大日本帝国の人間ではない」理由が、おわかりいただけましたでしょうか。

「慰霊」ではなく「鎮魂」

世界最強の海軍を率いながら、まだ弱小だった相手に大敗北を招いて結果的に国を滅ぼした山本五十六以下、海軍上層部のエリート官僚達の「敗戦責任」「信賞必罰」を明確にする事が、幾百万の戦没者への「鎮魂」です。
 

大和水上特攻作戦もそうです。
あの作戦に参加した一般の将兵は「お国の為」という大義名分の下で、実は、開戦以来の海軍上層部の作戦の不手際隠蔽の人身御供にされたのではないのか?  
こんなむごい死刑執行はありません。

特攻を「命令した側」と「出撃した側」を
一緒くたに「特攻」という一語で
くくってはいけない

まとめ
海軍上層部は、村社会的な馴れ合いの情実的人間関係の中で責任の所在をお互いに曖昧にして、戦後は敗戦責任を陸軍に押し付けて、責任から逃げ切って来ました。 
しかしこれは許されない罪な事です。

自分の怠慢の為に空母を何隻も沈めて何千人も死に至らしめて国を滅ぼす原因を作っておいて、
「部下思いだった」
「一生懸命やったんだからいいじゃないか」
といって責任を曖昧にするような、そういう無責任体質は、断固として糾弾しなければいけません。