体制組織の裏側に
常に立ち現れてくる黒い魔性(官僚的悪)

明治以降の日本の高等教育というのは、受験エリート官僚どもの自己増殖の過程でしかありません。
(高等教育機関での、今日的な意味での「受験競争」は明治30年代以降から)

そして減点主義の官僚組織の中では、目立つ事をやって上司に嫌われるより、上司に迎合する方が賢明な処世術と考えるような思考法に、どうしてもなります。

ましてや、大元帥陛下を頂点とする階級ピラミッドの中では、通常の官僚組織以上に上司の権威は絶対的だったと思います。  

今まで私は海軍上層部の敗戦責任を糾弾して来ました。
当然です。
「国家全体の利益」と「海軍上層部のエリート官僚達の利益」は、必ずしも一致しないからです。 

そこにはズレが生じる。
いや、ズレどころか、中央での官僚の責任回避や隠蔽は負の遠心力となって、遠くの最前前にいる味方をなぎ倒す。
その典型例がフィリピンの戦いです(これについてはまた改めて)。

見習うべきアメリカのシステム
~官僚の弊害を取り除くスポイリングシステム~

その点、アメリカは日本と違います。
日本では考えられない制度ですが、アメリカは官僚の弊害を取り除く為にスポイリングシステムと言って、大統領や政権政党が代わった時に高級官僚を全部入れ換えます。
だから「風通し」がよく、国民にもそれが反映して社会に躍動感がある。

一方、今の日本社会に閉塞感が充満しているのは、国の上層部たる官僚の自己保身的な硬直性が原因の一つだと、私は思っています。

更に凄い話として、米軍は「戦場で勝った指揮官」も、時として軍法会議にかけられると聞いた事があります。
 
「ちゃんと戦ったのか」「もっと戦果を拡大出来たのに、勝ち逃げしたのではないのか」等が調べられます。
更に「戦果の上がらない将官」も時には下から突き上げを喰らい、時には容赦なく更迭されます。

※サイパン島での地上戦で、日本陸軍相手に圧倒的な戦力差を有しながら戦果が乏しく、更迭された第27歩兵師団長ラルフ・スミス(英語版)少将。

並びに、それでも戦果が上がらず、わずか4日後にまた師団長の座を下ろされたスタンフォード・ジャーマン少将の例を想起されたし。