日本を滅ぼした人間達を輩出した海軍大学校

海軍上層部とは、外部から閉じられた閉鎖的な
「受験エリート官僚達」の世界

山本五十六、米内光政、井上成美、南雲忠一、草鹿龍之介、源田実等、日本を滅ぼした多くの海軍指導者が学んだ海軍大学校。

ここは伏魔殿なのでしょうか。

(海軍大学校卒業生の中には、第三次ソロモン海戦で鬼神を哭かしむる死闘を繰り広げた西田正雄 海軍大佐や、敷島隊に先駆けて自ら体当たり攻撃をした第26航空戦隊司令官 有馬正文 海軍少将の様な、立派な武人もいる)

海軍兵学校の成績優秀者のみが進める海軍大学校。

ちなみに海軍兵学校は広島県江田島にあり、建物もそのままに現在は「海上自衛隊幹部学校」となっています。
ここでは今でも「世界三大名提督」として山本五十六の写真が大きく掲げてあるそうです。
骨の髄まで勘違いですね。

海軍大学校と陸軍士官学校は対になりませんが、あえて論じてみました↓

海軍大学校は技術を磨く学校
陸軍士官学校は精神を磨く学校

海軍大学校は知識を教える学校
陸軍士官学校は武士道を教える学校

「技術・技術」と「精神」

両方とも必要ですが、根底にあるべきなのは「精神」の練磨です。

私は、武士というのは、「ジェネラリスト」つまり「全人的」なものだと思っています。

戦時中の海軍兵学校で反戦軍人・井上成美校長が主眼を置いたのが「技術者」つまり「スペシャリスト」の養成だとしたら、戦時中の陸軍士官学校で、牛島満校長が主眼を置いたのが「ジェネラリスト」の養成だったと思います。

戦時中の海軍兵学校は、「スペシャリスト」の養成。
戦時中の陸軍士官学校は、「ジェネラリスト」の養成。


ちなみに日露戦争の指導者は、「受験エリート」ではありませんでした。
青年期に知識偏重のいわゆる受験エリート教育を受けておりません。

しかし…。

大東亜戦争の指導者達の多くは、武士ではなく学校出の「受験エリート」

明治初期に欧米から学者を招いて帝国大学で「脱亜入欧教育」が始まりましたが、私はこれこそが諸悪の元凶と考えています。

明治以降の日本の高等教育機関というのは、西洋の文物を直訳的に取り入れて、高級官吏を育成する事をその主眼としていましたから。

そしてこれこそは、かつての日本が絶対にシナから取り入れなかった「科挙制度」です。

「科挙制度」というのは、最後は己の保身のみ考える人間達を育成する形になって、結果的にシナの歴代王朝を腐敗させたのですから。
(ちなみに日本で、いわゆる今日的な受験競争が始まるのは、明治30年代以降です)。

とにかく、高等教育の学問自体が「西洋に追いつき追い越す」為のものだから、やればやるほど日本武士道的なものが馬鹿に見えてくるのが、明治以降の受験勉強です。