真珠湾攻撃なんて、

戦略無視・外交無視の日本自滅の引き金 


真珠湾攻撃で沈んだ戦艦の高さが何メートルだったのかは知りませんが、例えばアイオワ級の3番艦として1944年に就役した戦艦ミズーリは、高さが66メートルです。

真珠湾は水深が12メートル。


つまり、戦艦を沈めても「艦橋の大部分が水面から出た状態で着底するだけ」なのです。


1を得て100を失った真珠湾攻撃


真珠湾攻撃をやったが為に、同胞たる10万人の日系人達はカリフォルニアの収容所に入れられ、アメリカに築いてきた諜報網も完全に壊滅しました。


事前に、そういう事に思い至らなかったのでしょうか。


大東亜戦争は山本五十六の戦争 


真珠湾攻撃を計画した連合艦隊司令部というのは、頭が偏っています。


連合艦隊司令部は、日米の軍艦の排水量の比率を日本有利にする為に真珠湾攻撃を計画したわけですが、受験競争の申し子と言うか、数字のお化けと言うか、理系バカとしか言い様がない。


海軍力は、艦艇数や排水量の単純な総量で測れません。

軍港が必要だし(真珠湾は優秀な軍港)、個艦それぞれの性能や経年による。  


だから真珠湾という軍港を攻撃するなら、軍艦だけではなく、ドックや工廠を攻撃しないとダメなんです。


ちなみに、日本海海戦以来、日本海軍の全ての艦艇は艦隊決戦用に作られ、訓練から運用から全て、「来寇してくる敵艦隊を日本近海で迎え撃つ」漸減邀撃作戦に主眼が置かれていました。

真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の様な「こちらからわざわざ、敵の勢力圏下に出て行く」という、博打的な発想は無かったわけです。


「山本五十六は英雄」という無邪気性は国を滅ぼす


しかし、共産党シンパの半藤一利氏が絶賛する山本五十六は日独伊三国同盟が結ばれる前、即ち日米が関係がそれほど険悪になる前の1940年(昭和15年)4月には既に、福留繁 参謀長に真珠湾攻撃を示唆しています。


それから真珠湾攻撃にのめり込んでいくわけですがその翌月には、ドイツ軍がわずか1ヶ月でフランスを破りました。

第一次世界大戦においてドイツ軍が4年の歳月と約150万人の損害を出しても突破出来なかった西部戦線を、です。


この戦いでドイツ軍は、突っ込む時に全戦車を機甲師団に集めました。

急降下爆撃機で敵の陣地を叩いた後に、歩兵と戦車の突撃を併用するこの電撃戦を見て、山本五十六は空母機動部隊による航空立体戦に惹かれたのではないでしょうか。


あくまでも私見ですが、急降下爆撃機で敵の軍艦を攻撃して魚雷でトドメを刺すという真珠湾攻撃の戦い方は、このドイツ軍の電撃戦を海戦に転用したものでは。

そこからヒントを得たのでは。

と、私は考えています。


連合艦隊を己の賭博の道具にして、

非戦論者を気取っている山本五十六


どうしても石油が欲しいなら、アジアに油田地帯を持っている「オランダにだけ」宣戦布告すれば良かったのです。

本国オランダは降伏しているのだから、鎧袖一触です(史実でも、そうなりました)。


アジアに植民地がないアメリカの真珠湾への奇襲攻撃など、山本五十六の博打癖の延長でしかない


海軍は山本五十六が下剋上的に軍令部を突き上げ、1941年7月の南部仏印進駐の後には永野修身 軍令部総長が帷幄上奏までして、アメリカとの戦争に踏み込んだ発言をしています。

対米戦を主張する永野に、昭和天皇は不信感を示されました。


つまりもうこの頃の海軍上層部は、最後は日本の滅亡に帰着する華々しい真珠湾攻撃に向かって、燃え盛っていたのだと思います。