終戦直後、下村定 陸軍大臣率いる陸軍が組織としての敗戦責任の非を公的な場で認めた一方で、米内光政 海軍大臣率いる海軍はその後の組織解体に至るまで、敗戦責任について組織として公的な分析と総括、自省を行う事はついになかった。

その後、多くの文化人により米内を始めとする海軍左派を「良識派」として大書した傾向も相まって、あの戦争の敗因が見えず、戦没者の御霊も浮かばれない国になりました。

真珠湾攻撃を計画し実行させた愚行や、10倍の戦力で出撃しながらのミッドウェーの負けっぷり。
または防空圏も守れず、本土空襲まで許し、戦略的な価値が全く無いわけのわからない太平洋の諸島に100万人の陸軍将兵を撒き散らすかの様に置き去りにして見殺した海軍の指導者達の体たらくを許したら、その無責任体質が今の日本にもそのまま引き継がれているという事がはっきりとわかります。

今の日本の官僚組織は旧海軍左派の、売国奴的な官僚機構の末裔でしょうね。