(海軍大学校卒業生の中には、第三次ソロモン海戦で勇戦した戦艦比叡の艦長 西田正雄 海軍大佐や、敷島隊に先駆けて自ら体当たり攻撃をした第26航空戦隊司令官 有馬正文 海軍少将の様な、日本人が語り継ぐべき立派な武人もいる)


莫大な国費を投じて作ったはいいけど、実戦に全くと言っていいほど投入しないで沈めてしまった戦艦『大和』『武蔵』の一点豪華主義はまさにその象徴ですが、他の軍艦の設計思想にも「偏り」は現れています。


同じ戦艦という事でも『長門』と『陸奥』は大改装したけれど、それ以外の戦艦は英米の戦艦に比べて装甲が薄い。


日本の戦艦の艦橋は、タイの仏塔に似ている為「パゴダマスト」と呼ばれてビジュアル的には美しいが、この艦橋のほとんどに装甲が施されておらず、実戦には極めて脆弱な構造でした。


そして、山本五十六の用兵のデタラメぶりとして顕著な例が、開戦初頭に、最新鋭の装甲が施されていたイギリスが誇る『キング・ジョージ五世』型の戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』に対して、瀬戸内海で待機している『長門』『陸奥』を派遣せず、(艦橋だけでなく)艦全体に装甲が薄い戦艦『金剛』『榛名』を派遣したという点です。

海軍航空隊が勝利したから良かったものの、単に戦艦同士の戦いなら、ポストジェットランド型の『プリンス・オブ・ウェールズ』『レパルス』と前ジェットランド型の『金剛』『榛名』では、装甲が厚いイギリス側の圧勝です。 


思うに「主力の戦艦を投入しないで出し惜しみして温存する」という、日本海軍の悪い癖「艦隊保全主義」が頭をもたげたのだと思います。


この「艦隊保全主義」は、昭和の海軍を見る上で、非常に大事な点です。

戦艦『大和』がまさにそうでしたが、主力の戦艦を沈めたくないので後方に温存した結果、タイミングを逃して使い道がなくなってしまう。


そして、負けのこんだギャンブラーがヤケクソになって賭け金を全て使い込むかの様に、最後は捨て鉢の特攻作戦しかなくなる。

こんな愚かな海軍の指導者達の犠牲にされた部下将兵は、たまったものではありません。