小埜先生には、更にこんな話もあります。 
第13師団は新潟で編成された師団です。

先生の部下も上越地方の人間が多かったらしいのですが、その当時は結婚の際にも「相手の家柄」を気にする人が今よりも多かった時代。 

そしてある部下の結婚相手が、どうも「悪い家柄」だったらしいのです。

一言で言って「出自が悪い」と。 
 
そこで小埜先生。 
その部下に向かって、

「何をバカな事を言うか。お前がその女性が愛したなら、家柄とか出自とか関係なくその女性を愛するべきだろ」

と一括。 
結局結ばれて、幸せな家庭を築かれたとの事。 
 
また私が、

「日本は戦後、敵国だったアメリカと組みましたが、それをどう思いますか? 日米同盟は良かったのですか? 悪かったのですか?」

と、ちょっと意地悪な質問をした所、 

「日米同盟がいいか悪いか、はわかりません。 しかし、戦後、アメリカと組んで幸運だった、とは言えると思う」

と、見事なお答えでした。 
 
また、こうもおっしゃってました。 

「両親から愛を受けられなかったからと言って、或いは仮に両親が何か過ちを犯した人間だったからと言って、その子供本人への希望を失ってはいけない」 

いいがでしょうか。 
  
省みて、悔いなき人生を、いきたい。 
 
2016年(平成28年)10月18日。

その翌日の陸軍士官学校の同窓会に、私が車でお迎えに行く事を電話で告げた時に、先生がおっしゃった一言です。

その小埜先生。 

翌、2016年(平成28年)10月19日。

私がお会いする約束をしていたまさにその日に、95年ぶりに魂の故郷へ帰られました。

私は、命を、使命を、小埜先生から託されたと思っています。
亡くなる最期まで、骨の髄まで陸軍軍人の方でした。

私は、小埜先生のご供養を一生続けるつもりです。

小埜先生。

日本の為に戦って下さって、有難うございました。安らかにお眠り下さい。
合掌…。