今吉 孝夫 さん
1932年(昭和7年)生まれ。終戦時は13歳。
昭和20年夏の鹿児島県 加治木空襲を経験された方です。
今吉さんは戦後、米軍資料を精査して「米軍側から見た加治木空襲」を調査し、空襲に参戦した複数の米兵を特定。
その中の一人の米兵の実子とは長く交流が続き、2016年に対面を果たします。
しかし中には「もうそっとしておいて欲しい」という返事のパイロットもいたそうです。
無差別爆撃をした米兵の側でも、「思い出したくない」という感情があったとの事でした。
またこの加治木空襲時には、急降下爆撃の直後に被弾した敵機がいます。
被弾した敵機は一度ゆっくり上昇して、そのまま下降。
パイロットはパラシュートで脱出出来ずに、火を吹いて機体ごと地上に落下。そのまま戦死しました。
13歳の今吉さんはその様子を目の当たりにしていたそうですが、村の人達は、この時のパイロットを手厚く埋葬しました。
「米軍側から見た加治木空襲」を調査している今吉さんは、この時に戦死した敵パイロットの奥様と最近、何年か前に連絡がつきました。
当然、相当なご高齢です。
奥様いわく、戦死した時には彼はまだ若く、亡くなってからは、父親がいない赤ん坊を育てなければいけなかったとの事。
そして…。
「やっと夫の最期の様子を知る事が出来て、本当に良かったです。有難うございました」
今吉さんにそう感謝を告げた奥様は、まるでそれを聞き届けるのを待っていたかの様に、間もなくして息を引き取られ、最愛のご主人の元に旅立たれました。
今頃は、70年数ぶりにご主人と再会されている事と思います。
敵兵を手厚く埋葬した村の人達も、また敵兵の奥様を探し出した今吉さんも共に誇らしいですし、奥様もご立派です。
「敵国」のラブロマンスですが、奥様のその偉大な婦徳に、私は一掬の涙を禁じえませんでした。
「本物」というのは、国籍とか人種は関係ないのだと思います。
お二人のご冥福を、心からお祈り致します。
天国のお二人に、幸あらん事を。
合掌…。