増山保雄 先生

1921年生まれ 

空母『翔鶴』ゼロ戦パイロット。

1943年、空母『飛鷹』に乗艦後、い号作戦でラバウルの陸上基地に転属になり、ろ号作戦にも参加。現地で一年間、空中戦を繰り広げます。

その後、空母『瑞鶴』に乗り込み、日本海軍の切り札・決戦要員の第一航空戦隊の隊長となります。


増山先生のお話

…空中戦?映画のチャンバラと一緒。

昭和18年の間中、米軍機とチャンチャンバラバラやってましたよ笑

米軍への恨み? 

無い無い。全く無い。 

米軍てのは非常にビジネスライクで、こちらが攻撃を終わって帰ろうとすると、向こうも「さあ、仕事は終わった」という感じで、すぐ引き返すんです。  

ある時、こんな事があったよ。  

私は機体に隊長のマークをつけてるから当然、向こうから真っ先に狙われるのよ。  

その日は、私が敵の隊長機のグラマンと空中戦をやりました。

向こうも隊長機のマークをつけてるからね。そこで我々の引き上げ時間が来たから、私は引き上げようとした。

すると、敵さん達も引き上げるのよ。 

しかし、私とやり合ったその機だけは、私を追ってきた。私が右に旋回しても左に旋回してもついてくる。  

ついに彼は私の真横に並んだ。 

そこでお互いに目が合ってね。 

向こうも将校でしたよ。 

私を見てニコッと笑って手を振ってきた。

も笑顔で返した。

こういうのは、敵味方に別れても、尊敬心が湧いてくるもんよ。  

私らの2機はしばらくグルグル回って、最後はお互いに風防を開けて大きく手を振って別れを惜しんだよ。 

2016年8月 聞き取り  


…何という深いお言葉! 

こういう方達というのは本当に人間国宝です。何も知らない若い世代に、語り継がなければいけない。 

どんなに苦しくても、俺が休むわけにいかない…。

その時、僭越ながら、私はそう決意しました。