自分は絶対に行かないクセに、特攻の制度化と出撃を担当した軍令部第一部長(作戦部長)中沢佑 海軍少将は、自身も学んだ海軍大学校を「戦術の勉強ばかりで全体観がない」と、自分で述べています。

局地戦ばかりで大局を見られないのは、受験エリートの性だと思います。

画一的な事務官僚で、譲り合う様に責任を回避する、典型的な「お役人」です。

こんな人間達が、数百万人の陸海軍人が命を懸ける太平洋方面の作戦を指導していたのです。

ミッドウェー、ガダルカナル、その他ソロモン方面の戦い等における、一般の将兵の奮闘を無にする様なデタラメな作戦指導を見ると、そう断ぜざるを得ない。

誰でもわかる様な過ちを「後づけで言うな」と言われても困ります。

彼らは硫黄島沖縄戦での陸軍の様な「兵法」ではなく「西洋の軍事学」で、あの戦争を指導したのです。

実際の戦場を、学校で学んだ勉強の実験場と考えていたわけです。学校の勉強の延長で大東亜戦争を指導したのです。こんな奴らの部下として命を預けるなんて、真っ平ごめんです。

(海軍大学校卒業生の中には、第三次ソロモン海戦で勇戦した戦艦比叡の艦長 西田正雄 海軍大佐や、敷島隊に先駆けて自ら体当たり攻撃をした第26航空戦隊司令官 有馬正文 海軍少将の様な、日本人が語り継ぐべき立派な武人もいる)