今年の夏の暑さは酷いが、

それでも今朝は、つけはなしの冷房が肌寒く感じられた朝だった。

 

早朝散歩をしたら、なんと、栗が実っていた。

 
 

透明感のある朝の空に、ほんの少しだけ、秋の気配を感じた。

 

 

 

さて最近、日常的には先妻さんのことで悩むことは(それ程には)無くなってる、と書いた。

 

私が強くなったのかも、

などとさえ思っていた。

 

今年のお盆は結婚して初めてのお盆だった。

 

先妻さんの入っている彼の実家の墓参りに、初めて家族として同行した。

 

とても暑い日で、私が遠慮しているうちに、夫はさっさとしゃがんで、線香をあげた。

 

私はそれを横から見ている格好となった。

 

夫は、静かに目を閉じて手を合わせ、猛暑の中にも関わらず、

少し長く、頭を垂れていた。

 

そんな夫の横顔を見て、

こういう夫を見たのは初めてだ、

ということに今更ながら気づいた。

 

焼かれる様な日差しの下、胸の中を地下水の様な冷たさでさみしさが流れた。

 

その後、私も手を合わせたのだが、

その感情は尾を引いた。


自分よ、結局また妬くのだねえ。

 

私は全然、強くなってなんかいなかった。

 

気にならなくなったのは、

夫が、日々、本当に毎日、私を優先してくれるおかげ。

それだけなのだなあ…としみじみ思った。

 

新居に先妻さんの仏壇はあるが、

夫が一度も手を合わせるのを見たことがない。

(夫も私に仏壇の世話を強要しない。)

 

あまりに夫が何もしないので、私が勝手にお仏壇の世話をマイペースでしている。

 

彼が手を合わせる姿をあまり見たことがなかったので、

「平気」などと、偉そうなことは、

何も言えないと思った。

 

こんな情けない私は夫に、

 

「先妻さんのお墓参りは、今度からは、一人ずつではなく、私も一緒に並んでさせてほしい」

 

と頼んだ。

 

夫は思いがけないことを言われた様に、

ハハハーと笑って承諾してくれた。

 

並んで、というのも大切なのだ。

夫の後ろで手を合わせるのでも良い気もするが、

(先妻さんに対峙している夫の)背中を見てしまうわけなので、

その時の夫を遠い人に感じ、さみしくなってしまいそうなので。

 

優しくて、何でも聞いてくれる夫とはいえ、

先妻さんにお参りする彼自身について、

「どんなことを話したの?」

などと質問して、夫の内面に入り込みたくない。

 

そう私に聞かれたら、彼は言葉通りにはとらず、きっと悲しい気持ちになるだろうし、

私も聞いておきながら、そんな自分の言動に、後味が悪くなるだろう。

 

ましてや、

「お参りしてる時、私のことなんか考えてなかったでしょ?」(←当たり前。)

などと、彼の常識的な行動を責める人になり下がりたくない。

 

「さみしい。私を愛して」

と言いたい気持ちは、後からいつだって、ちゃんと表せばいい。