ブログを始めた理由は、死別者と交際する中での特有のつらさを、吐き出す場が欲しかったことだ。


溜めるのはよくないのは確かなので、当事者の彼にいつも聞いてもらってはいたが、


「わかった。言わない様にする」

「気をつける」


と言うのが彼の精一杯の誠実さで、

彼にはもともと悪気はないのだから、

忘れた頃にまた、ぽろっと昔話新情報を私に言ってしまい、彼が無言でニヤニヤする(またやってしまったという気持ちとのこと)、という繰り返しなのだ。


 5年間付き合って来てやっとこの頃では、

彼に私と「同じ気持ち」をわかってもらうのは不可能だ、とわかってきた

 

私はなぜ嫉妬するのか?

先妻の存在(もはや現存しないのだが存在する…という「存在」)をどう私の中で折り合いをつけていけるのか?


一度きりの人生で出会った大切なパートナーのことなのだけれど、私も一度きりの人生、自分の心は大切に守るため、これからもモヤモヤしたら、ここに書こうと思う。


ためになることは書けないが、自分のためのこんなつまらない話でも、読んで下さるとわかると、大変勇気づけられています。ありがとうございます!

 

5年付き合うと、キラキラフワフワした恋愛の期間は落ち着き、互いに飾らない姿を見せ合う様になる。

そうすると、相手へのちょっとした不満とか、そうしたものを感じた時、ふと、先妻も同じに思ったに違いない、と思う余裕も出てきた。少しなのだけど。


それに先妻に嫉妬するなどという感情は、心に余裕がある時だけわいてくるものの様だ。

持病が悪化したり、コロナに感染したり(今のところ幸いそういうことはないが)、そんな際には、とても知らない人に嫉妬している余裕などなくなるはずである。


そういう意味では、嫉妬の感情が沸いてくるような時は、他の心配事がとりあえず落ち着いている、ということなのかもしれない。


心の隙間に、それは忍び寄ってくる。

心配事が落ち着いているなら、心を、素敵な楽しいことで埋め尽くしたい。


不謹慎だが、亡き人を張り合いにしてしまうくらいの感じでいいのかもしれない。


それに私は月子さん(先妻)のお陰で、これから歳を重ねる人間が綺麗でいなくては、とか、自分の生活を見直していこう、とか、頑張るきっかけにもなっている。

 

今、更年期の真っ最中なので、無意識に疲れとストレスが重なっている時や、新たな大きな心配事を抱えてしまった時などに、ぞわぞわぞわ、と悪寒がやってくるようになった。30秒くらいすると消えていくが、繰り返し繰り返し来たりする。


母が亡くなった日、それから頼っていた彼の老いを感じて心配になった日。

そういう時は、無理しないで、と自分をいたわる時。

私のキャパシティーここまで、と思い、スケジュールを空け、早寝早起きの生活にする。

 

そんな体調の変化を感じる中で、

私は出来ることをすればいい、できないことはできない、それでいい。

とつくづく思った。

 

彼が大切だからこそ、自分に責任を持つ。

パートナーとの幸せのために、自分のことは後回しにしない様に。


こんなに長い時間をかけて出会えた私たちだから、これからも出来るだけ、少しでも長く一緒にいるために、自分の(仕事、健康、趣味)は大事にしようと思う。

 

お読み頂きありがとうございます。