~アウトソーシングとは~



語源は「Out(外部) + Sourcing(資源利用)」であり、直訳すれば「外部資源利用」または「外部資源の有効活用」



本来は単なる「外注(仕事を外に出す)」より、「外部の資源やサービスを活用する」との意味合いが強い。



                                                wikipediaより引用







「ひとりひとりが築く新しい社会システム」
(ウェッジ選書 加藤秀樹著)を読んで感じたことです。





いまの世の中は、なんでもかんでも分業が進み、かつ過度に依存することで、生活の中の行動をどこかににアウトソーシングし、結果その規模が拡大しているという考え方です。





自分の身の回りのことで、かつては自分でしていたことも、いつの間にか誰かに、何かにしてもらっているということ、ありませんでしょうか。





便利な時代ですから、いいことだと思います。





しかし、ゴミ収集も道路清掃も河川清掃も、携帯電話もメールも、食洗機も無人掃除機も、出張介護サービスもエスカレーターもバリアフリーもコンビニエンスストアも。





アウトソーシングしなくてもかつては自分でやっていたことだと思います。





たとえばバリアフリーという発想がなくても、助け合って生活していた。





階段の段差をとって、バリアフリー。はいお終い。





では意味がない。





過度に肥大化した行政がパンク寸前になっている、というのが現状である。





行政へのアウトソーシングという発想を強く意識することになりました。





「それは必要なことですか? だれかに頼むことですか?」





ひとりひとりが生活の中でそれを突き詰めていけば、持続可能な社会ができると思います。





ではすべてを削ぎ落として、自給自足の生活になることがゴールでしょうか。





幸せの形にもよりますが、それも違う。





すくなくとも現代に生きる全員がこれまでの「富」を手放して生活するということは難しい。





発達した「技術」や「制度」を用いて、それに奢らず溺れず、共存しながら成長していくことがゴールだと考えます。





先日ご紹介した「アプリ」であれ、ひとつのツールになりえます。





便利なもの。おもしろいものも増えました。刺激はおおく、飽きない時代だとも思います。





その先の社会に向けて、それが本当に必要なことなのか、きずなをもって豊かに生きていくために必要最小限を考えながら、発達した技術や制度と共存しながら成長を続けていくこと。





奢らない、溺れないためにも、しっかりした軸をもち、次を見つめていく必要があると強く思います。