エイズの大流行で問われるピルの存在意義、米発売から50年 | 横山歯科医院

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[経口避妊薬の米発売から50年、誕生までのいきさつと今後の課題]

(AFPBB News  2010年5月6日)

発信地:ワシントンD.C./米国

【5月6日 AFP】
酢を含ませた海綿、ザクロの果肉、オリーブオイル――。
世のカップルたちは、何世紀もの間、独創的な避妊法を編み出し、その結果に
一喜一憂してきた。

女性たちは20世紀半ばになって、経口避妊薬(ピル)という発明品に出会う
ことになる。
これは、妊娠の制御において高い信頼性を発揮するだけではなく、性革命を
ももたらすことになる。



<ピル誕生までの歴史>
世界初のピルは、1955年、米国のグレゴリー・ピンカス博士によって開発
された。
米食品医薬品局(FDA)により販売が認可されたのは、1960年5月9日の
ことだった。
西ドイツでは、これより前の1956年に発売された。
フランスでは、カトリック教会からの反発が強く、発売は1967年まで
待たなければならなかった。


ピルの製造への道を開いたのは、20世紀初頭、女性ホルモンが発見されたこと
だった。
1920年代、ドイツで女性ホルモンを使った世界初の生殖制御実験が
行われる。
そして1922年、科学者のルートヴィヒ・ハーベルラントが、世界で初めて、
排卵を妨げる注射用ホルモン避妊薬を作製。
ウサギを使った実験で有効性が実証された。  



<ピル開発の立役者となった2人の女性>
ピルの大量生産の陰には、看護師のマーガレット・サンジャーとその友人の
キャサリン・デクスター・マコーミックという2人の米国人女性がいた。
サンジャーは全米家族計画連盟の創設者。
マコーミックは、マサチューセッツ工科大の開校以来、女性としては2人目の
卒業生という才女であった。

2人はピンカス博士に対し、ピルを早急に開発するよう説得した。
その資金は、マコーミックが女性権利団体などから200万ドルの寄付を集める
などして工面した。

1951年にメキシコの化学者ルイス・ミラモンテスが女性ホルモンの一種、
プロゲステロンの複製に成功したことが、ピルの実現可能性を一層高める
こととなった。

ピンカス博士は同じ年、米マサチューセッツ州に研究所を設立。
そして1955年、産婦人科医ジョン・ロックの協力のもと、世界初のピルの
開発に成功した。

翌年、この種の薬の臨床試験が認められているプエルトリコで250人の女性に
対する臨床試験を実施。
女性ホルモンの一種、エストロゲンを含んだピルでも実験を行い、
プロゲステロンとエストロゲンを両方含んだピルでは効果がさらにアップする
ことを突き止めた。



<エイズの大流行で問われるピルの存在意義>
ピルは1957年、女性のホルモン障害の治療薬として病院向けに販売された。

1960年代になって市販が開始されるも、法律では1972年まで、購入できる
のは既婚女性のみと規定されていた。


ピルは、女性に対し初めて確実な避妊という安心感を与えたことで、
カジュアルセックスの爆発的な流行といった性革命をもたらす原動力と
なったと考えられている。


しかし1980年代のエイズの大流行は、ピルにとって大きな転換点となった。
現在、専門家の多くは、避妊と性感染症防止の2つの役割を兼ね備えた
コンドームの使用を強く推奨している。

(c)AFP/Jean-Louis Santini


http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2723612/5717413