[サリドマイドとは]
(Wikipedia)
サリドマイドとは1957年にグリュネンタール社から発売された睡眠薬の
名称である。
副作用により多くの奇形児が誕生し、一時的に販売中止となった。
現在はアメリカ合衆国等でハンセン病治療薬として市販されている。
もともとはてんかん患者の抗てんかん薬として開発されたが、効果は認め
られなかった。
その代わりに催眠性が認められたため、睡眠薬として発売された。
当初、副作用も少なく安全な薬と宣伝されたことから妊婦のつわりや不眠症の
改善のために多用されたことが後の被害者増加につながった。
<アメリカに於ては・・・>
アメリカでは1960年9月に販売許可の申請があったが、FDA
(食品医薬品局)の審査官フランシス・ケルシーがその安全性に疑問を抱き
審査継続を行ったため、治験段階で数名の被害者を出しただけだった。
1962年にケルシーはケネディ大統領から表彰されている。
<副作用による被害>
(1)西ドイツ - 被害者3,049人
1957年10月1日 グリュネンタール社が「コンテルガン」の
商品名で発売。
1961年11月18日 W・レンツ博士が催奇性を学会で報告
1961年11月26日 グリュネンタール社が製品の回収を開始。
(2)イギリス - 被害者456人
(3)日本 - 被害者309人
1958年1月20日 大日本製薬(現大日本住友製薬)が独自の製法を
開発し「イソミン」の商品名で販売を開始。
1959年8月22日 大日本製薬が胃腸薬「プロバンM」に
サリドマイドを配合し販売。
これは妊婦のつわり防止に使用された。
このころから奇形児の発生が報告されるようになり製薬会社は
西ドイツに研究員を派遣するなどして情報収集を始めたにも
かかわらず製造を続ける。
1962年5月17日 大日本製薬が製品の出荷停止。
1962年9月18日 販売停止と製品の回収を開始
(ドイツでの回収開始から294日後)
一部の製剤はその後も市中で出回る。
同年末までに被害者がイソミンとプロバンMの製造許可に対し
法務局に人権侵害を訴えるが、法務省人権擁護局は「侵害の
事実なし」と結論。
1963年6月28日 大日本製薬を被告として最初の損害賠償請求が
提訴される。
1974年10月26日 東京地裁で製薬会社および国との和解が成立。
11月12日までに全国8地裁で順次和解が成立。
(4)カナダ - 被害者115人
(5)スウェーデン - 被害者107人
(6)台湾 - 被害者38人
台湾の被害者は、すべて大日本製薬のイソミンとプロバンMによる。
大日本製薬が1億8350万円の損害賠償金を支払うことで、和解が
成立した。
全世界での被害者は約3,900人、30%が死産だとされているので総数はおよそ
5,800人とされている。
<現状と問題点>
サリドマイドの毒性が確認された後、薬に対しての副作用、安全性、妊婦
および胎児への影響の調査が強化された。
しかし、深刻な薬害の発生はその後も続いている。
また製剤の中には鏡像異性体を持つものも多いため、これについても注意が
払われるようになった。
--------------------------------------------------
サリドマイドの新しく発見された有効性については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%89