更新が遅くなってしまいました。

3月11日。自分にとって大きな衝撃を与えたあの日から1年が経ちました。
本当はこの日、何か言葉を残そうと思いながら、どうしてもその大きさを言葉で表現できずにいました。

去年のあの日から1年間。
最初は地震の恐怖と、子どもを守らなきゃという気持ちでいっぱいでした。
そして津波での被害に言葉を失い、さらに襲ってきた原発事故、明日、自分は、家族は生きていられるのか、そんな思いで毎日を過ごしていました。
電気もガスも水道も止まってしまった生活の中、入ってくる情報は悪いものばかりで、その中でも頑張っている、動いている人たちに引きかえ、私はただ毎日情報に耳を傾けるばかりで何をやっているのだろう…でも子どものそばにいなきゃ。余震も恐い。
そんな気持ちがぐるぐると心をめぐっていました。

3月に入ってから11日まで、震災時の映像を流す番組を沢山やっていましたね。ですがどうしても、その当時の不安や絶望、取り残された気持が戻ってきてしまい、直視することができずに11日を迎えました。

11日。この日は朝からダラダラと自宅で過ごし、静かに2時46分を迎えました。黙祷…なんていう言葉を意識することなく、40分過ぎから自然と言葉数が減り、しばらく静かに時間が流れていました。いろんな思いが駆け巡って、一粒だけ涙がこぼれました。

その後はいつもの休日と変わらず家族でお散歩がてら買い物へ。
あの日、あの時も、ガラスの破片でぐちゃぐちゃになった我が家は危険で、荷物をまとめて外に出ました。2時46分から気持が1年前に少し戻った状態でみた現在。
長蛇の列を作っていたスーパーも、棚から商品が消えてしまったコンビニも、そして止まってしまった電車も新幹線も、消えてしまった信号も、今はすっかり当たり前のように動いていて、物があって、人が生活している、そのことが不思議な感覚に襲われました。
でも、元通りになったわけではなく、歩いている人それぞれに、その人自身ではなくても身の回りには亡くなってしまった人、住まいを失った人、仕事を失った人などがいて、今までの生活をガラリと変えさせられてしまった人ばかりなのです。

我が家の変化といえば、いつも福島に住む夫の両親から無農薬の美味しい野菜、自慢の桃、その他果物王国の産物の数々がピタリと届かなくなってしまったこと。会いに行くということが難しくなったこと。もちろん、普段の生活でも食品を買うときはかなり注意するようになりました。

色々な思いの上にある3月11日、14時46分。

小さい頃やっていた『日本昔ばなし』のエンディングテーマの歌詞を思い出します。

♪いいな いいな
にんげんって いいな
おいしいおやつに ほかほかごはん
こどもの かえりを まってるだろな♪
♪いいな いいな
にんげんって いいな
みんなでなかよく ポチャポチャおふろ
あったかい ふとんで ねむるんだろな ♪


食べ物の調達に苦労していたあの日、寒くて寒くて毛布に包まってダンボールを敷いた床で子どもを抱き眠ったあの日、今まで普通に過ごしていたことがどれだけ幸せだったのだろうと感じました。
そして、そんな大変なとき、ご近所さんも見知らぬ人もみんな声を掛け合い励ましあいました。
♪いいな いいな にんげんって いいな♪

辛かった、恐かったことを思い出すのはまだしんどいけど、そのときにつくづく感じた感謝の気持ちは、日々の生活で忘れていても毎年この日には思い出そうと思います。


そしてまだまだ大変な思いをしている地域の方たちへの支援、何もできずにいる自分にやりきれなく思う1年でしたが、これからでも、何かあれば始めても遅くは無いはず。