いやー、いまだに胃がキリキリします。でもそんなん関係ないっすよ。決める時はきっちり決めにゃあね。

というわけで今回は「鬼神」www細田羅夢です

僕は正直な話羅夢がちょっと苦手な部分があったんですけど、でもその部分を分解していくとそれこそ羅夢が番組に残した功績なんじゃないかと思ったんですよね。

それは天てれという番組に「現代性」を吹き込んだということ。ここで言う現代性というのは流行りどうこうという以上にその個人としてのあり方なんですけど。

和があってそこから自分らしさを出していくんじゃなくて、個人がまず自分を主張してぶつかり合っていく中で集団の形を作りあげていく。相手のことを考えないんじゃなくて、信頼してるからこそ思いのままを表現していく。

こういう個人主義のあり方をそのままぶつけることが出来た戦士ってそれまでにいなかったんですよ。「ああ、あの場面ならそりゃ羅夢ならキレるよ」なんて認められるような戦士他にいないでしょ?wwwそこにみんなが強く惹かれ、あこがれるのかなと。

そして羅夢の声のパワフルさっていうのはその生き方のスタイルをまさに象徴している。パーソナリティがそのまま出ていますよね。MTKは全員曲等を差し引けば四曲。「冬のアゲハ」を最初に聞いた時の衝撃ったらなかったなあ。これもまたただの流行りとは一味違う現代性の一つだと思う。「空宙ブランコ」や「ひまわり」も年度を代表する完成度の高い曲ですしね。

「歌姫」の称号を手中にしながらソロを歌うことはなかった。上には梨生奈、下にはことりとメロがいるという状況で三年間の中で絶対的な存在になりきれなかったとも言えるし、運がなかったという部分もあると思う。夏イベでのソロのひまわりという設定はスタッフの配慮だったのかもしれないですね。

演技面に関しては抜けて上手かったわけでもないし、本人にその自覚はあったんじゃないかと思う。羅夢は基本的にどうやっても羅夢にしかならないからねwww

だから役のどの部分を強調させるかに重点を置いてやっていたと思う。年間ドラマもそうだし天ドラ「月曜日が来ない」然り…ただその中でも特別なのがやはり主役を務めた08年夏イベですよね。

ストーリーの中で羅夢だけでなく他の戦士も「言う必要のない、言ったらまずいと思ったことを言わなかった」せいでまとまりを失っていく。危機的な状況で羅夢がその心的なスタイルが揺らいだ時に、どういうことが起こりうるのかという一種の提唱ですよね。

だからあの舞台での羅夢は役だから当たり前といえば当たり前なんですけど、羅夢であって羅夢じゃないんです。自分を、仲間を信じきれば起きなかったことが起こってしまうというわけですから。「羅夢の生き方にあこがれるのは簡単だけどそれを貫くのは難しい」と教えられてるみたいで。

でもハッピーエンドになって、最終的に視聴者がそれを見てどう判断するかという余地を残しているのが流石だなあと。妙に教訓めいたりするだけでは受け入れがたいですもんね。

今は遠くアメリカで武者修行中の羅夢。この行動力には感服するよね…だったら自分で告白できるようになれよ!www言葉の壁はあるけどその生き方は日本以上に海外でアジャストする要素が多いと思う。昨年度も木生に出てくれたけど、より大きなスケールになって帰ってきた羅夢を見れる日も近いかもしれないですね。

それでは次回は滉一にしますか。日向滉一を予定しております。