フットサル関東三国志を拝読して

僕はサッカーとフットサルでお世話になった方々は本当に沢山います。
2002年に大怪我をし一線を離れてからこっち、
今では仕事最優先、プライベートでは将来に繋がる”婚活”を最優先(してないじゃん、笑)
ということで、細々とサッカーとフットサルを続けておりますが、
このような大作を目にすると筆者の木暮さんの思い入れの大きさを感じます。
あわせて、ここに登場する多くの方々の努力があったからこそ僕もやらせて頂いた。
そう思っております。
本当に感謝、感謝であります。

そのなかの1人でもある木暮さんがこのフットサル関東三国志を執筆されています。


フットサル関東三国志
http://www.re-po.jp/kogure/


この木暮さんは、ご存知、現日本フットサル代表のエースの木暮選手のお父様。
毎回木暮選手の試合をお父様の木暮さんが見に来ているので

木暮選手がうらやましかったのを覚えています。
また木暮選手とは、彼を天才と言ったのは僕がたぶん最初でしょうか、
2000年頃のマルバ水戸の本拠地にて試合後、
まだブレイクする前の彼に「天才~!」と呼んで挨拶したのを覚えています。
そして彼は僕の全盛期?2000年頃の当時の最大のライバルにしておいてください。
ウイニングドッグのエースが木暮選手でガロのエースが横田ってことで(笑)


さて、個人的なことは良いとして、このフットサル関東三国志ですが、
これは実に面白い。
どうしてか?その理由は、
第一に、登場人物のほとんどが僕の知っている人がキャストされたこの三国志だから。
第二に、簡単に10年以上前のこの三国志の世界にタイムスリップできたから。
第三に、この三国志に度々僕の名前が書かれていたから。(笑)


勝負の世界は結果が全てですが、個人的には大した記録も大した活躍もしていない僕ですが、
この三国志に登場している素晴らしいメンバーの中に一緒に名前を載せてもらっていることなど、
フットサル選手としては本当に贅沢な限りなのですが、
その歴史や対戦成績などの展開などは非常に面白くまたよくまとめて頂いてあるので、
是非、フットサルに係わる方々は、第一章その1から読んで頂きたいと思います。


そして、この場で今一度、
僕がここまでフットサルを続けてこられたのには理由があります。
それはガロというチームの存在です。
そこで出会った仲間たちといろいろな経験をして少しずつですが成長をさせて頂きました。
心より感謝しております。まあまだまだ未熟者ではありますが(汗)

このチームスポーツの素晴らしさを挙げたらきりがありませんが、
努力すること、話し合うこと、お互いを理解すること、
人生において、会社組織人としても、プレイベート上でも、
勉強になることが沢山詰まっていると思います。
皆さん本当にありがとう。


それから、ガロとして出場した全カテゴリーが東京都で優勝以上の成績を残したことについて、
これらはすべて、これらの大会にチームとして参加し関わった選手は勿論、
クラブスタッフ、監督・コーチ等のチームスタッフ、
そして偉大なるサポーター達の皆さんのそれぞれの活躍によってなされたこと。
これをまず忘れてはなりません。


特に女子部、U-22、U-18、U-15等の下部組織の運営の現場は

本当に簡単なものではありませんでしたが、
数年間、世代も替わり年月も掛かりましたが、

出場した全てのカテゴリーが東京都で優勝するまでに至り、

最初はほんの手助け程度のつもりでしたが、やるからには勝ちたいので、

指導することは自身の考えの証明でもありましたので続けられたと思います。
チーム選手、スタッフに恵まれたこともあり、彼らの力が非常に大きかったこと、
またそれぞれのチームの選手達の父兄、学校の理解など、
陰で尽力された方々の努力の賜物であることは言うまでもありません。


これらはTOPチームの選手主導で各カテゴリーのチームの手助けがあり、
コーチを仕事と捉え取り組んでくれた方々のお陰であることと、
また僕は応援に行った程度であり、
すべてはクラブスタッフ、選手、チームスタッフの努力なくしてはありえませんでしたことを含め、
あらためまして、ガロのために御尽力頂いたすべての皆様に対し、

御礼申し上げる次第でございます。


また、このフットサル関東三国志には、
僕の古巣の所属サッカークラブであるエリースFC東京の名前も度々登場します。
僕のような未熟な選手をチームに加えてくださり、
また全国社会人選手権や関東リーグの試合に出場までさせて頂き、心から感謝致します。
当時の監督の小宮さんには、三代先まで足を向けて寝れません。
そのエリースのエースだった河上選手が

関東リーグのオフに始まるNISSANカップ予選に出場するためメンバーを集め始めガロが始まりましたが、

そこに誘ってくれた河上選手の名前も登場しており感慨深いものがありました。
僕はエリース時代に彼の控え選手であり、僕は彼の2~3ランク位は下の選手だったと思います。
それは当然です。当時の日産=マリノスのプロ選手だったわけですから。
僕がサイドバックに起用され縦のポジションの関係になったときには不思議な思いでしたし、
ガロで得点を量産する河上選手とそれをアシストする僕の関係は正に師弟関係そのものでしたし、
神宮での紅白戦では毎週のように、また試合毎に問題点を指摘し合い、

それでも相互理解によって関係は成り立っていたと思います。

お互いに意見をぶつけ深夜まで意見交換をしたものでした。

お互いのプレーに納得がいかなければ喧嘩もしましたし眠れない日もありました。
いやあ、懐かしい。勿論僕が今でも舎弟ですよ。
残念ながら、

この大作三国志にはガロごときが詳細に書かれているはずはありませんが、
それでもやはり嬉しく、当時の苦労や達成感などを思い出しました。
本当に懐かしい。


そのエリースFC東京も今年で創立40周年を向かえ、
この春には目白の椿山荘で記念式典が行われOBとして出席させて頂きました。
エリースFC東京は現在も当時と変わらず関東社会人サッカーリーグで活躍しており、
東京にエリースFC東京ありを証明してくれてることと存じます。
僕が河上より引き継いだガロの源流はエリースFC東京にあったこと、
これもここであらためて付け加えさせて頂きたいと思います。
今ではエリースFC東京の有志達と一緒に毎週水曜日、
『水曜会フットサル』と銘打ち、今でも皆で切磋琢磨しております。
これまで一緒にやって来たガロの皆さんで、

もしもこの水曜会フットサルに参加されたい方がおりましたら遠慮なくご連絡下さい。
そして参加して頂きたいと思っております。
ただし、エリースは体も強さも以前よりハンパなく向上しておりますので、

是非とも『上げてきてください。(笑)』
勿論、僕より走れなかった人はバツとして3セットやって頂きます(笑)

勿論これは冗談ですが。


とまあ、長くなりましたが、
これからも木暮さん、

日本のフットサルのためにも、この『三国志』を楽しみにしております。
そして元ライバルの木暮選手(笑)、

日本のフットサルを宜しくお願い致します!
今度、日本代表の試合が東京であれば応援に行きますね!!!


フットサル関東三国志が素晴らし過ぎる!面白すぎる!

木暮さんをはじめ皆さんありがとう!!!

心より感謝致します。