ただわれわれの曖昧で散漫な教育が、
人間を不確かなものにするのだ。
/ ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
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ゲームデザイナー・桝田省治氏の英才教育
http://togetter.com/li/64055
子供に「どういう発想を強いるか」という実験的育児。
コメントを見ると、クリエイターとしては正しいとか、娘さんへの対応が良くないと批判されたりしています。
面白かったのでちょっと考察してみます。
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まず、子育て云々を抜いて最終的なデザインの解として「どれが正しかったのか?」について。
・案1 足跡+ウサギ
・桝田氏案 足跡のみ
・案2a 足跡+ウサギの耳のみ
・案2b 狐に襲われて足跡が残っている
案1はいかにも子供らしいシンプルな視点です。「子供が作りました」というのであれば、これを出すのがよろしいでしょう。
桝田氏案と、案2aは大差ありません。ちょっとヒネッた内容でいかにも大人ウケしそうな内容です。デザインとしては超王道で東急ハンズあたりに置いてありそうな感じですが、小学生に発想させるのはやや難易度が高い感じです。
案2bは異端の発想です。一枚目からこれを子供が作ってきたら若干ゾワッとします。物珍しさはダントツです。
結論から言うと、一長一短過ぎてどれが正しいとは言い切れません。
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では、子育てとしてはどうなのか?
未来の育った姿を見る事は出来ないのでどれが正しいのか判りませんが、なんとなく想像だけで書くと
「案1」を採用される人生を歩み続けた場合は、とにかく肯定される事、自分の内面を正しく表現する事が正義だ、という子に育つ気がします。普通の感性に育つ反面、相対的な問題を把握しないので、個性を出しづらい側面があるかもしれません。
「案2a」を強いられる人生を歩み続けた場合は、人の気持ちを推し量る事にフォーカスするようになる気がします。典型的なのは桝田氏の発想に見られる「案が二つ出てきたら片方が当て馬」などという相手の行動予測をする行為です。プロデューサーなんかは持っていると便利な機能ですが、自己に向き合う事が減少する可能性があります。
「案2b」を強いられると、今度は「とにかく異端な事をしよう」という大人になります。一般の人が蹴るような案なのでイロイロ苦労しますが、ハマればアーティストくらいにはなれそうです。ダメ人間になる可能性もとても大きいですが。
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上の3つを整理すると
・自己肯定する事
・社会性の発達
・個性の発揮
の3つにフォーカスしている気がします。
クリエイティブには上記要素は必ず必要ですが、どういう順番で学ぶべきか、という点が問題です。
「自由にやれ!」と言われてから「他人はこうだ」
と教わるのがいいのか、
「他人はこうだ」と言われてから「自由にやれ!」
と言われるのがいいのか。
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ちょっと例としては違いますが、海外(というか西欧)の美術教育と日本教育は微妙に教え方が異なります。
海外はまず
「自由にやれ!個性がまず必要だ!」
という考えからスタートし、やがて技術を学びます。
一方で日本は
「正しく描け!技術がまず必要だ!」
とゴリゴリと正しいデッサンを描く事を求められます。で、技術が身についた後に個性を伸ばしていく、と。
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僕はこれ、スターウォーズとガンダムに良く現れていると思うんです。欧米式のデザインで描かれたスターウォーズは形状は適当なんですがディティールがすごい。逆に日本式のガンダムなんかはシルエットやコンセプトを重視する一方で質感やディティールはあまり重視しない。つまり、後から学んだ方が強化される傾向がある訳です。
どっちが正しいとかではなく、単純に教育される順序が異なるから、アウトプットが異なると。
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子供へのデザイン教育は何が正しいのか、という答えはありません。TVキャラクターを無造作に与える教育が正しいのか、北欧の木のオモチャだけ買い与える教育が正しいのか、僕にはさっぱりです。
そして多くの人々は自分が受けた教育、自分が考える発想が「正しかった」と思いたがります。
桝田氏の強要はある分岐を伸ばしましたが、その他の可能性を潰しました。そしてそれが正しかったのかどうかは誰にもわかりません。
人生は短く、触れるもの、出来る事には限りがある。
完璧な教育なんてものは無く、教える方も学ぶ方も迷い続けるしか無いのかもしれないなあ、と思った次第です。
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