文章/拉致被害者/貧しい人達 | ヨコオタロウの日記
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言うべきときのほかは言うな。書かざるを得ないときのほかは書くな。
君は作家である。書かざるを得ないときのほかは、けっして書いてはいけない

/ レフ・トルストイ



いまちょっと大量に文章データを書く仕事を毎日毎日してるんですが、息抜きで日記を書き殴るってのはちょっとした心の病気っぽい。なんだか日記もまとまらないけどもういいや。放出。



随分前に、ワイドショーで「拉致被害者は死んでいません。絶対に生きています!」という事を叫んでいるキャスターがいるのを見て思った事。
被害者家族が「生きている!(だから頑張ろう)」と声を上げるのは判るけれど、第三者としては死んでいる可能性を捨ててはダメなんじゃないですかね。たとえば、

「死んだのは判った。ならその拉致当事者を日本の警察に引き渡せ」

とかも行動の選択肢に含まれる気がする。
ああ、でもそうなると報復として現在生存している(かもしれない)拉致被害者を殺される可能性があるから、あんまり刺激するのも良くないのか。

ミサイル撃ち込んだって返してはくれないだろうし、やっぱり「生きてるから返せ」と言い続けるのが戦術としては正しいのかなあ。ただ、それだとワイドショーも政治家も「とにかく拉致被害者を返せ」って言葉が免罪符的に扱われている気がするんですよね。言い続けていれば許される、的な茶番。

状況を打開するには「1人生還につき関税を1%下げる」と提案してみるとか。そうすると120人くらい返してくれるかもしれない。それで、全員戻ってきたらウソピョーンって言って関税200%くらいにすると。
しかし、全部放出した、という確証も得られないからダメか……。やっぱり

 ・地味に経済制裁する。
 ・北朝鮮の政権が崩壊する。
 ・キム親子が追放される。
 ・新政権がキム親子を悪者にするための政材として、日本に拉致被害者を返す。

って流れしか無いのかなあ。



経済的理由の退学者救って! 私立高生ら訴え
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20090505/CK2009050502000033.html

なんかスゴイ叩かれてますよね。この高校生達。
ちょっと前にあった、

生活保護受給者に自家用車は必需品か?
http://news.ameba.jp/2007/08/6677.php

の時に似てる。
彼等を「経済的弱者」つまり貧者とした場合、叩いている人達はどんな人達なんだろうか。

「裕福な人」であれば「助けるまでいかなくても叩く必要は無いんじゃね?」とか思うし、
「貧しい人」であれば「貧しい人同士で殴り合うんじゃなくて、叩くべき相手は他に居るんじゃね?」とか思う。「施しを受けている立場で大きいこと言うな」っていう気持ちは判るけれど、貧者同士で殴り合ってる隣で、本当にズルい奴等はニヤニヤしながら甘い汁を吸ってるんじゃないか?とか思っちゃう。

僕は結局、親のお金で学校にも行けたし、
生活保護を受ける必要も今のところは無いし、
甘い汁を吸える程金持ちでも無いから、何もわからないだけなのかもしれないけど。