完全なバカ | ヨコオタロウの日記
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阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。

河童 / 芥川龍之介




「バカと天才は紙一重」などとよく言われますが、最近の「バカ」事情ってどうなっているんですかね。
ということで、ちょっと考えてみよう。

宇宙に自分しか存在しなければ知性の比較のしようが無いだろうから「バカ」っていうのは社会の関係性の上に成り立つ単語に思われる。他人が居なければ「バカ」になりようがない。

他者を卑下する形容を「バカ」だとするならば、「バカ度合いが高い」=「バカと形容される場合が多い」という事になる。だとすれば「完全なるバカ」は社会全体がバカだと定義する存在になる。
たとえば、共和党と民主党がお互いをバカ呼ばわりしても、実際には価値観の相違で争っているだけでお互いを制圧するには至っていない。つまり、完全なバカを創出出来ない。単に罵り合う集団でしかない

このように社会の上で成り立つ「バカ」という評価も、相手が受け入れない限り「完全なバカ」という評価にはなれない。じゃあ、相手が受け入れる状態。つまり「俺はバカなんです」と言っている状態ではどうかというと、それも違う。だいたい、自分の事をバカだと認識出来る時点でそれなりの知性を持っているように思える。

そもそも「バカって言うヤツがバカなんですぅ~」的な小学生が居る限り「完全なバカ」という存在は具体例では存在しえないわけだ。小学生め。
だから「おまえはバカだ!」というのではなく正しくは「お前は概ねバカだ!」というのが正しい。なんだか「バカではない可能性や視点もあり得るよね」という慈愛に満ちていて、罵倒感がボヤけているのが素晴らしい。

ああ、なんだ。こういう曖昧な価値観が普及すれば戦争とかなくなりそうな気がしてきた。
みんな他の人との関係を定義する時はもっと緩やかでボヤけた判断をした方がいいんだ。
そして他者を断定したりするのは良くない事なんだ!(←断定したから良くない)


あれ?