もし、8時間で木を切り倒せと言われたら、
私は7時間を斧の刃を研ぐことにあてる。
/エイブラハム・リンカーン
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本は“創作”、米国は“破壊”――元ソニック開発者が語る両国の違い
http://www.gpara.com/kaigainews/eanda/2008082801/
この文脈で「農耕民族」「狩猟民族」って言葉が出てこなかったのなら、逆に偉いと思われます。
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受け手ではなくて、作り手の話。
日本の絵の予備校ではまず「1にも2にもまずデッサン!」という教え方をされるじゃないですか。まあ受験科目がそうなんですが。
一方、海外(てか欧米)でまず学ぶのは「独創性」なんですな。デッサン力はあとから学べばよろしい、と。
てな感じで、おおざっぱに言うと、以下のような順番で学習するわけです。
日本 技術→作品性
欧米 作品性→技術
まあ、昔の話なんですが。
となると、アメリカではプロになってから研鑽を積むのは「技術」になるわけで、スターウォーズや Gears of War みたいに「全体のフォルムはプリミティブなのに、ディティールで強烈に補強されている」絵がバカスカ出てくるのは、こういう教育が原点にあるんじゃないですかね、とか。
日本は逆で、細かい部分よりも大きな視点での作家性を求められてるように思います。
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で、そういう意識の送り手が増えてくると、必然的に競合するので、逆のポジションが評価されるのも面白い現象ですな。「大神」なんかは北米のメタスコアでものすごい評価を受けています。
売れなかったですが。
なんか書いてて思ったんですが、どうせ考えても無駄だから好きな事をやりつつ時代が追いつくのを待とうと思いました。アメリカ人も人間だしな。
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教育つながりで。
比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200502250173.html
でも、フィンランド式教育は
「子供が王様」これでいいのか フィンランド式教育に学べ
http://www.j-cast.com/2008/03/30018325.html
とか読むと日本人には向いていないんだなあ、とか。
なんで「自主性を伸ばす話」が「子供のワガママ批判」にすり替わるのか。