成果と労働 完結編 | ヨコオタロウの日記
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なぜ、国民の究極の正義をあくまでも信頼しようとする姿勢がないのでしょうか?
それ以上の、あるいはそれに匹敵する希望がこの世に存在するでしょうか?
リンカーン民主主義論集 / リンカーン



今日は終わらせます!絶対!

★昨日までのあらすじ→「人間は他人の為には働けない」

さて、根本的に人間がダメで「多数の他人」の為に行動が出来ない腐った存在だとしても、そのダメさを改善出来る方法は無いだろうか?という事を寝ながら考えてみた。

まず、問題の構造についての考察。
市場経済は(何かを為した事に対する対価を得る)という系で成り立っている。だから感じの悪い店は廃れていくし、人気のあるキャバクラ嬢は高収入になる。
つまり「多数の人間が望む行為をした者が、多くの収入を得る」という仕組みになっているので、これが順当に機能すれば、「みんなハッピー」は実現可能だったはず。

ところが社会が複雑化し「お金を上司」から貰うというような構図になってからは、顧客の満足度ではなく、上司や個人の幸福の為に働く人間が増えていくようになってしまう。

結論:通貨が人間から乖離しすぎでモラルを守る事の役に立たない。


じゃあ、お金以外に人間を突き動かすモノ。感情に訴えかけるのはどうか。
たとえば「義憤」。
ワタミの社長のコラム

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カンボジアの子どもたちが教えてくれたこと
~国に頼るな、自分を頼れ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070705/129147/
※日系BPに無料登録が必要。

以下要約:
チャリティ財団に寄付をしていた社長が、寄付金の減少を聞いて「大丈夫か?」と財団の理事に聞くと
「私たちの団体は7億円もあれば運営には困らないから大丈夫」
と回答され、「おまえらに寄付してんじゃねえよ!」と激怒。

結局社長は、慈善団体を自ら設立する事で解決したのでした……
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…って、いい話だけどいくらなんでも規模が大きすぎるよ社長!
ダメなんですよ。この場合、相手の財団の理事長が改心しない事には世界はどうにもならない訳です。一部の人間が本質的な善行をしても、それ以外の精神的にだらしない人間が堕落してしまうのは避けられない。
ワタミの社長みたいに「他人の笑顔を見るのが幸せ」っていう人間ばかりじゃないし、実際の顧客と接しないから想像出来ない人もいっぱいいるわけで。


では逆に、感情のネガティブな部分を利用するのはどうか。
怒りとか。恐怖とか。

「社会保険庁何やってんだよ!おまえら全員給料ナシだ!」(怒り)
「2ch で晒されるの超怖い!」(恐怖)

このあたりをミックスして新しい制度を作るのはどうだろう。

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※以下は最近の晒され例

【mixi(笑)】DQNカップルがキセルして逆ギレ、退学直前、内定取消、逮捕5秒前(^ε^)-☆Chu!!
http://www39.atwiki.jp/saitamahomebase/

【埼玉】車載カメラで当て逃げを撮影するも、警察gdgdで動かず まとめ@ ウィキ
http://www34.atwiki.jp/tsuyoshi_atenige/pages/13.html
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労働して収入を得る場合は、どういう仕事(作業)をやったのか実名/顔写真付きでキチンと公開する。
こうすれば、何か問題が起きたときにその個人(もしくは集団)に対しての社会的な制裁が発動するので、怖くて無茶出来なくなる。作業内容は自己申告だが、場合によっては同僚が補強(告発)する。

とりあえずこれを「晒しシステム(略してSS)」とする。
江戸時代の五人組の制度を無理矢理 web2.0 的に発達させた感じ。

たとえば、役場で使い込みに気づいたとする。
もしくは不法行為の使いっ走りをさせられる。
今の部下だったら見て見ないフリをするだろうが「SS」が発動した場合、後から自分(とその家族)が死ぬほどひどい晒され方をするので、実行出来ない。

たとえば、国産 google のプログラマー。
もし失敗した場合「あんなインチキなプロジェクトのプログラマーかよ」と赤っ恥を晒す事になって、とてもじゃないが手を出せない。「やめましょうよ、俺やりませんよ?」と上司を必死で説得する。


つまり「多くの人が不愉快に思う仕事をすると、携わった人間が社会的に叩かれる」仕組みを構築してしまう。
これはなかなか実効性が高そう。
「SS」を実装した場合の問題点を考えてみる。


・プライバシーの侵害では?
金儲け行為にプライバシーもクソも無いんじゃないか?特に収入やプライベートの話ではなくて「社会に対して何を為したか」に関して隠すような事なんかあるんだろうか?

・上司の命令だったら部下は不可避なのでは?
実名と顔を晒されてまで、社会に対して害を為す事を部下は選ぶだろうか?仮に実行したとしても、上司を告発する為の証拠を保存するだろう。上司はその危険を冒しても部下に命令するんだろうか?それ以前にタテマエとしては上司の命令だろうが何だろうが、牛肉を偽装したりしてはいけない訳で。

・虚偽の申告がありえるのでは?
ありえる。とてもありえる。そのため、申し立てによる事後の調査委員会や五人組制度のような相互密告制度が必要。

・作業対象がマイノリティの為だったら?
アイヌ民族の文化を保全する為の行為だったら、予算が適正であれば誰も反対しない。これが幼女陵辱ビデオだったりしたら、相応のバッシングを浴びる。問題はマイノリティかどうかじゃなくて、社会に受け入れてもらえるかどうかにかかっている。どうしても幼女陵辱ビデオを撮りたい場合は、次の項を参照。

・賛否両論ある作業だったら?
たとえば、AV監督やAV女優という職業。これらが実名で行う事が困難な職業だとすれば、なり手が激減するため供給不足になり、結果として莫大な収入を得る事が出来る。対価として見合うかどうかは本人の覚悟次第。おそらくだが、幼女陵辱ビデオはバッシングの規模に比べて市場が小さくなるだろうから、よほどの覚悟が無い限りは手を出せないと思う。

・大きい仕事は誰も手をつけなくなるのでは?
たとえば同じクソゲーでも、1万本のゲームと100万本のゲームでは後者の方が制作者が叩かれる事は容易に想像出来る。これを解決する方法はいくつかあると思うが、一つはAV業界と同じで対価を増やす事。別案としては、責任領域を明確化することで、リスクを分散する方法。いずれにしても、制作者達はクソゲーを生み出さないように今よりも真剣に考えるようになるだろう。

・税務局や、駐禁違反の取り締まりなどはどうするのか?
そうならないように、何故その行為が必要なのかの説明責任を負うようになる。しかも形式じゃなくて、真に大衆が納得するような説明を。それが出来ないのなら、そもそもやってはいけない事なんじゃないのか?
利権団体の多く、たとえばJASRACなんかは今のままだと「底辺の職業」として再定義されるハメになると思うが。

・衆愚政治に陥るのでは?
それは民主主義の本質だから、ここで問われても困る。


そして「SS」が法律で定義されれば、人々は上司でもお金でも無く、社会に向かって堂々とした仕事「だけ」をすることになる。横領も、無責任主義も激減し、人々は社会の為に何が出来るかを熱く語り合う社会になる。
「SS」は新世界の神となりました。ハッピーエンド。

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もし「SS」が施行された未来がどういうモノになるかはちょっと想像がつかない。
確かに悪意ある行為や、怠惰が引き起こす問題は解決されると思う。
その反面「あんまり叩くのもの良くないね」という風潮が世の中に蔓延して、結果として無関心な社会が生成されるかもしれない。ひたすら社会や大衆の眼を恐れる萎縮した世界になるかもしれない。
新しい挑戦が失われていき、再生産するだけの商品が繰り返されるのかもしれない。
保護されるべきマイノリティが、社会の無理解で絶滅してしまうかもしれない。


最初の問題だった

「世界陸上がボロボロ」
http://www.zakzak.co.jp/spo/2007_09/s2007090314.html

を今見返すと、確かにだらしない市職員に腹は立つものの「SS」の施行された未来と比べると「だらしないところが人間らしい」とも感じられます。確かに「SS」は極端な想像の産物だけれど、為政者や資本家の意向を全然汲まないネット世論みたいな力が急成長しているのも事実。2ch はもとより、mixi や digg がデスノートみたいな力を持ちつつあるんじゃないか?とか。

いろいろ考えをコネクリ回した結果「僕らは、本当に「知らない大勢の人間」という集合を相手に生きていきたいんだろうか?」という、星新一というか渡邊浩弐みたいなオチになってすんません。


なんにせよ、長文おつかれでした。
仕事しよう…