「開店企画の担当者募集……この求人、なんだか面白そうですねぇ」

 

 初めての転職に失敗した僕は、これをきっかけに広告代理店に転職したいと、初めのうちは幻想を抱いていた。しかし面接まで進んだとしても、最終的には未経験を理由に、結局は不採用になってしまう。30歳を過ぎてからの転職は、やはり過去の経験が物を言う。未経験職種への転職は、20代のうちに済ませておくべきであった。悩んでいても埒があかないので、やがて転職エージェントのお世話になってしまったのだが、そこで求人票を閲覧して独自に見つけたのが、次のような募集職種だった。

 

 「募集職種:開店企画」

 

 僕は店長経験者だったが“新しもの好き”だったので「店長候補募集」という求人には興味を持つ事ができず、他にないのか……と探し続けているうちに辿り着いたのが、その求人票だったのだ。

 

 エージェントに相談してみると「正直その会社はよく分からない」と言う。僕が利用していたのは大阪支社で、興味を持ったのは、東京にある社員数89名のまだ小さな、無名の加工食品の卸問屋だったからだ。

 

 だったら、自分で調べるしかない……

 

 そこは現金販売の卸問屋として創業した老舗だったが、数年前から小売にも進出し始め、これから大きく変わろうとしている会社だった。ネットで調べた情報だけを頼りに、僕は上京し、その企業の店舗を独自に取材してみた。その結果、かなり伸び代がある企業であると確信した。早速、気がついた事をレポートにしてまとめてみた。そして一次面接が終わった直後に、面接担当者に「これ読んでください!」と、レポートを提出した。その後社長面接に呼ばれ「社長室採用、初任給33万円」との連絡を受けたので、入社する事を決めた。エージェントに連絡すると「おめでとう!」と喜んでくれたが、エージェントも本音では複雑な心境だったのではないか?

 

 エージェントの意見を全く採用せず、勝手に判断していたからである。

 

 「これでやっと、プーにもオサラバだぜ!」

 

 新住所を直感で決めた僕は、すぐさま東京への引越しを終わらせた。引越し完了の連絡を本社に入れると、即答で最初の業務命令があった。

 

 「入社日は明日です。明日朝9時に本社に出社してください!」

 

 電話したのは引越し業者がまだ帰ったばかりで、ダンボール箱は未開封、家具の配置もまだ、何も決めていなかったタイミングである。

 

「それにしても唐突すぎる会社だなぁ〜」……嫌な予感がした。

 

 勤務初日。社長から突然、次のように言われた。

 

「キミの上司を誰にするのか、まだ決めていない! なので、ローテーションで一通り、役員クラス全員の下で働いてもらう……」

 

 その後、社長の鞄持ちとして夜の接待に付き合わされた。

 

 初日は、社長の下か? ……しかし、いつになったら帰れるのかが、さっぱり分からない。しびれを切らして社長に「遅くなってきたので、そろそろ帰りたいのですが……」と言うと、「わかった。大人だから、帰りは適当に自分で調べれば帰れるだろ!」と言われ、駅の近くでもなんでもない場所で、突然車から降ろされた。

 

「それにしても唐突すぎる会社だなぁ〜」

 

 最初は降ろされた場所がどこなのか? さっぱりわからなかったが、適当に歩いているうちに、偶然地下鉄の駅を見つけ、そこから無事、自宅に帰る事だけはできた。

 

「けっこういい加減な会社だなぁ」と、初日から嫌な予感がした。

 

 勤務2日目からローテーションによる研修? ……とやらが始まった。

 

 ★佐藤常務:店舗開発担当。新規出店予定地の視察やテナントの調査をしている。前職で、本部社員だった僕は、業界の裏話でおおいに盛り上がった。この常務の下で働いたら「開店企画」の担当者だよなぁ……と、その時は思っていた。

 

 ★谷口常務:商品物流センター所長。個人経営のコンビニや商店向けに、加工商品の配送をしている。ピッキング作業等の研修をした後、個人経営のコンビニに伺って、オーナーの声を聞いたりした。ここの業務が、僕のキャリアに一番近い。この常務の下で働けたら、過去の経験を一番忠実に活かす事ができるんだけどなぁ……と、その時は思っていた。

 

 ★西川常務:現金卸問屋所長。そこの経営を統括している。ここでもピッキング業務等の肉体労働を行ったが、蒸し風呂のような状態で、水分補給も満足にできないまま業務を続けていた為、最終日に体調がおかしくなり、研修終了後の帰りは、タクシーで自宅まで帰った。翌日病院に行くと、熱中症であると診断された。初めてのお盆休みは、寝ているだけで終わってしまった。

 

 ★飛田部長:新規小売事業開発担当部長。若手だがやり手であると評価されている。社内は「飛田のアイデアに従え!」という雰囲気になっている。飛田が新しくやろうとしていたのは、食品と一緒に野菜も販売するという“八百屋さん事業”。飛田部長の研修は、市場へ野菜を仕入れに行く事から始まり、八百屋でひたすら野菜の販売を手伝う事だった。蒸し暑いバックヤードで、ひたすら野菜のパック詰めを行う日もあった

 

 飛田部長の下で働くのが、正直一番嫌だなぁと思った。何故なら、そこで働いてしまうと、これまでのキャリアを活かしたりする事は全く不可能……と、その時は思っていたからだ。

 

 すべての研修が終わってから社長に呼び出され、次のように宣告された。

 

「役員会議で、キミを誰の部下にするかを話し合ったが、キミを部下にしてもかまわないと言ったのは飛田部長だけだった。しかし飛田部長は、キミの給与が24万円でなければ、絶対に部下にはしないと言っている。なので、来月からキミの給与は24万円で、飛田部長の下で働いてもらう……」

 

 「えっ? そんなのアリ?」……一瞬、自分の耳を疑った。

 

 小さな会社に人事部はない。社長の鶴の一声で、あっさり決まってしまう。しかも仕事は、これまでのキャリアを全く活かせない“八百屋の手伝い”なのだろうか?

 

 次々と繰り出される理不尽に、僕の精神状態は完全に「ドM」になっていた。

 

「開店企画の担当者募集」って、結局そういう事だったのか? 

 

 すべての嫌な予感が、的中したような気がしていた。しかし、さすがにもうここまで来ると「だったら辞めます!」……と逃げる事もできない。この先どうなるのかは全く分からないけれど、とりあえず今は目の前にある仕事を頑張るしかない。さまざまな矛盾に気付きながらもすべての不満を飲み込み、しばらくここで働いてみる事にした。

 

 就職後の一番最初の上司との相性は、入社後の命運を大きく左右すると言われる。しかし、転職者は、事前に会社を選ぶ事はできても、入社後の上司は選ぶことができない。転職におけるリスクは意外にも、こんなところにも隠れている。僕は初めてそう……その時に悟ったのだった。