みなさんこんにちは
整備工場の半田です!
6月ですね、なんとなく雨の日や蒸し暑い日
が多くなってきたような気がします
私が推してるバンドが今年いっぱいで活動を休止してしまうので、「今年行けるライブは全部行ってやる!」と母と二人で意気込んでいるのですが、、もうそれも半分、、、
私は別の出会いを求めて5月に初めましてのグループのライブへ
1人参戦してきました
もともとグループ内の1人を別の舞台で知り、近日中にライブがあることをSNSで知ったので行ってみることにしたのですが・・・
その日はなんと5月の中でも大風の日で・・・
ライブ会場に着くまでにビッショビショになってしまいました・・・
横浜駅から歩いてみなとみらいの方へ向かっていたのですが、風で傘もさせない、けどささないと即濡れの大雨前に進むのも一苦労・・・疲弊した状態でライブに望みました・・・が
とても楽しかったので、後日ファンクラブに登録
7月のライブの抽選も当たったので楽しみたいと思います
その前に6月にもその新推しと推しバンドがでるフェスがあるのでそれに行ってきます
さて、今回から自動車の歴史編にもどそうかなぁと思っています。
前回の歴史編では戦前の日本は第二次世界大戦に向け、乗用車の開発を中断し、トラックの製造が開始されたところまで話をしていました。
同じころのドイツではアドルフ・ヒトラーが大衆に対する人気取り政策として、“国民車構想”を提唱し、1938年にドイツの国民車として、フォルクスワーゲン・ビートルが誕生しました。これはポルシェ社の創設者フェルディナント・ポルシェ博士の手により開発されました。
これは私も驚きました
フォルクスワーゲンはドイツの大衆向けメーカーで、ポルシェはスポーツカーメーカーです。一見すると技術的にも顧客層も異なる両社ですが、深い関わりがありそう・・・
いつか調べて皆さんにも共有しますね
1939年に第二次世界大戦が開戦されたため、量産化直前で国民車構想は頓挫してしまい、代わりに軍事用車両のキューベルワーゲンが生産されました
戦後にフォルクスワーゲン・ビートルは量産化が開始されると、長期にわたり世界中で販売され、累計2000万台以上の生産台数を達成し、ドイツの国民車というだけでなく、世界的な大衆車になりました。
独裁者、戦争犯罪者として悪名高いヒトラーですが、この国民車構想とアウトバーンの建設は、功績として現代でも評価されています。
一方、アメリカ軍はドイツのポーランド侵攻時に活躍したキューベルワーゲンに注目して1941年に小型四輪駆動車Jeep(ジープ)を開発し、実戦でも使用しました。
連合国の軍用車両として60万台ものジープが生産、世界中の戦場へと向かいました。
また、戦後は世界中でノックダウン生産され、膨大な数の派出型ジープが誕生しています。
この戦時体制の中、世界中で軍需用の車両の生産が優先され、乗用車の開発はできない状態が続いていました。
日本はというと、戦後はゼロどころかマイナスからのスタートとなってしまいます
生産設備は大きな打撃を受け、当初はGHQ(連合国軍総司令部)から乗用車の生産を禁止されており、日本を走るのは米軍のジープと大型のアメリカ車ばかりで、日本の工場ではありあわせの材料でスクーターを作るのが精いっぱいの状態でした。
戦後の日本はどの業界でも深刻な資金不足に陥って倒産が相次いでいました。
もちろん自動車産業も例外なく危機に陥っていましたが、その後の進化は凄まじいものでした
その話はまた次の回にさせてください。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
これからどんどん暑くなるので、体調には気を付けてくださいね