横須賀はほとんど空襲がなかったため、戦前の建物がかなり残っています。
戦前にも大きなビルは有りましたが一般の商店では看板建築が目立っていました。

看板建築は関東大震災以後に
流行した商店の構えで、
二階建ての日本家屋の正面にだけ銅板を張ったりモルタルで塗り込めたりして西洋風の建物の感じを出したものです。

戦前は横須賀だけでなく
日本各地で見られましたが
戦災と再開発で失くなっていきました。
横須賀では上町地区にまだたくさんの看板建築が残っていて
独特な歴史景観が見られます。
銅板でふくと最初は銅色で
ピカピカですが
何年もしないうちに緑青色になります。
上町には緑青色の大きな戦前建築がいまだに現役で使われています。

横須賀中央の駅前大通りも
昭和30年代までは
大きなビルはさいか屋デパートだけでその他は上町と
似たような景観でした。
昭和34年に三笠銀座ビル、
42年に緑屋デパート、
45年にジャンボ横須賀(西友)が建てられて
看板建築はだんだん姿を消していきました。
今ではメガネスーパーや
眼鏡市場の辺りになんとなく
当時の面影があります。
新共薬局の横に一軒だけ緑青色の看板建築が残っています。

横須賀中央付近では
上町程ではありませんが
米が浜通りも看板建築の宝庫です。汐入付近にも場所によってはまだ見かける事ができます。

最近では特に上町や汐入地区の看板建築を上手に使ってしゃれたカフェやショップに改装する例もけっこう見られます。

戦前の建物を上手に利用している横須賀ならではの景色は
観光資源にもなりそうで、
これからも保存されて欲しいですね。

横須賀古地図くらぶでも地元の看板建築について
研究を進めて参ります。