3月2日土曜日
日差しは有りましたが
寒く感じる日に
横須賀古地図くらぶで
横須賀西海岸の
林地区歴史散策を行いました。
林地区は地味なようですが
一歩奥に入ると
古代や中世からの農村生活が
よく忍ばれて
異世界に入ったような
不思議な集落でした。

集合場所は
京急バス停一騎塚、
ここは鎌倉時代初めに
北条氏に抗い討ち死にした
三浦一族の和田義盛に
加勢するため、
たった一騎でこの地から
鎌倉まで馳せ参じた武国義を
顕彰する碑があります。

和田義盛は三浦市の初声から
武地区まで農業生産を盛んにし領民や部下に慕われていたのでこのような伝説が残ったのでしょう。
実際今でも横須賀市の農業の中心地となっている林地区は
義盛の時代からの歴史的遺構が豊富です。


一騎塚の近くには明治時代以降のこの地区の戦没者を顕彰した忠魂碑も昭和32年に大きく改装されて第二次世界大戦に至るまでの全戦没者名が刻まれています。


忠魂碑再建に尽力した
地元名士の名を印した石板も有りますが残念な事に台風かなにかで破損しています。


早く修復していただければと思います。
地元名士の中に戦後すぐ市議会で活躍したくらぶのメンバーの祖父の名も有りました。

武山中学を過ぎ岩沢ポートリーの鶏舎を訪れて見ました。良質な玉子を生ませるために鶏たちを特別に管理しているようで、近づいてみるとたくさんの鶏が集まって来ました。


岩沢ポートリーの歴史は昭和30年頃に庭先の鶏が生んだ玉子を背負い籠に入れて売り歩いたのが始まりと言う事ですので
やはり農業が盛んだったのでしょう。
鶏舎の付近は相模湾から伊豆半島を望む台地で一面畑が広がっています。
農地ですので中世の人が見た景観が残っていると思われます。


中世は戦乱の時代でしたので
岩肌に横穴を掘り、
武器や後には墓としても使われた「やぐら」がかたまって残っています。
扇子畑のやぐらは大きいのですが、付近には小さめのやぐら状の謎の穴がいくつも掘られた切通しの坂道も有って今後の研究が待たれます。






近くを流れる「身洗川」も
落武者が刀傷を洗った名残の
名称かもしれません。



林地区の鎮守は八幡社で
手入れが行き届きも
昔からの結び付きが今でも残っている事をうかがわせます。
本殿に上がると真正面に富士が望める設計になっています。



林地区は和田義盛の時代から
歴史が古く、
中世は京都醍醐寺などの寺社領
そして江戸時代からは
武家の所領となって行きます。

しかしどちらかというと
やぐらなどを通して
中世の農村の雰囲気をよく残している感じがしました。


江戸時代のものでは
林地区の二つの名家の墓を
一ヶ所に集めた所もあり、
「享保」や「宝永」の年号が
刻まれたたくさんの墓碑は
圧巻でした。

また武山駐屯地横の国道134号線を一つ山側に入った
旧三崎道と思われる
曲がりくねった道の両脇に
広大な和風屋敷の立ち並ぶ様子は現代の横須賀には珍しい中世からの景観を残した日本の異世界にも思えました。

三浦半島の西海岸は横須賀のイメージとなっている東海岸とは違う面白さに満ちています。
今年の横須賀古地図くらぶは西地区を積極的に掘り下げて行きます。