わたしは今
鬼滅の刃にはまっております。
「鬼滅の刃、遊郭編」の放送が
いよいよ12月から始まります。
楽しみで仕方ありません(笑)
そこで以前から興味の有った
横須賀と遊郭の歴史について
少し研究してみたくなりました。
古地図くらぶでもよく議題に上りますが、ある程度専門知識のある
男性メンバーの議論を聴いていても
何となくピンと来ない事も有ったり、
やはり女性の見方とは少し違うのかな、とか思ったりもしたので
今まで勉強してきたことを
まとめてみます。
わたしは男の人が遊郭の話を
するのはあまり好きではないです。
男性だから女性の気持ちは
分からないだろうし
ただ、隠さず、現実にあった事を
知るのは
大事かなとは思っています。
歴史や周辺の細かい知識は
他のメンバーさんから
教えてもらいながら、
①江戸
②明治
③大正
④昭和
の4つに分けて、
できるだけ女性視点で
見て行こうと思います。
自分なりにまとめられたら
古地図くらぶの講座でも
講師をやってみますので
よろしくお願いいたします。
1958年(昭和33年)に売春防止法が
施行され日本各地に有った
遊郭が失くなります。
高度経済成長で
女性の働く場所が増え、
経済的に自立しやすくなった事が
法律制定の後押しをしました。
女性が風俗の仕事をするのは
色々な事情があるのだろうけど
経済的に弱いからです。
昔は人身売買で監禁されながら
男性が楽しみ、
また儲けるために女性が
犠牲になりました。
時代とは言え本当に許せない話ですよね
江戸時代、
三浦半島の遊郭は浦賀が有名です。
鰻「梅本」のある商店街の
もうひとつ奥の広くなった通りが
その場所ですが、
「洗濯屋」と呼ばれていた
江戸中期には造船所跡地、
旧浦賀警察署の向かい側
辺りだったようです。
当時干鰯問屋と
奉行所設置で隆盛していた
浦賀ですから
遊郭も豪華で
経営者のひとり江戸屋半五郎は
西叶神社に立派な銅製の灯篭などを
寄進しています。
やがて寛政の改革の影響で
派手な営業ができなくなると
今まで儲けた金で放蕩三昧、
ところがある日空しさを感じて
遊郭をやめ、
遊女たちにも金を分け与えて
自分は仏門に入ります。
この話が伝え残っているのは
「遊女たちに金を与えて」
が当時びっくりするくらい
珍しかったからかな、
とも思います。
江戸時代の遊女は
過酷な仕事と栄養不足、
病気などで長く生きられなかったといいます。
死んだら投げ込み寺に放り込まれて
終わりですから、
男社会の犠牲にならなかった事が
感銘を与えたのでしょう。
もうひとつ、
横須賀の遊女では「高尾太夫」が
馬堀出身ということで
案内板に載っています。
「高尾太夫」は吉原の花魁で
代々受け継がれる美人の名称で、
馬堀出身者は6~8代辺り、
三浦屋の高尾太夫として
一番有名とのことですが
やはり諸説あります。
美貌のため有力者に身請けされ、
長寿を全うしたということですが
やはり珍しい境遇なので
伝説になったのでしょうね
また当時の横須賀が身売り女性の出る貧しい地域だった事も分かります。
次回は明治に入ってから、
相も変わらず
横須賀の遊女がどんなに悲惨だったか、くらぶのメンバーに頂いた資料などを元に書いてみます。
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横須賀古地図くらぶのメンバーが
大正14年の軍港よろづ新報、
古地図を使って
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14:00~15:00
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