武山の忠魂碑については

以前にもブログで書きましたが

最近お掃除してきましたので

もう少し調べてみました。


横須賀は軍の街なので

国に殉じた人達を顕彰する

忠魂の碑がたくさんあります。


また、関東大震災や

引き揚げ船のコレラ犠牲者の碑など、

大惨事で失くなった

人達の霊を慰めるもの、

あるいは観光名所になっている

ペリー上陸記念碑や

三笠公園内の東郷平八郎の銅像

もあります。


その中で、武山の忠魂碑は

戦前に一度建立された後、

戦後に再整備されたもので、

戦いに殉じた武山地域の

人びとの名前を可能な限り

彫り込んであり、

明治始めの西南戦争から

第二次大戦まで

きちんと分けてあり、

そのまま日本の近代史が

たどれるようです。






西南戦争は明治10年に起きた、

新政府と薩摩士族の激しい戦いです。

日本最後の内戦で、

西郷隆盛率いる士族軍を平定した

中央政府はこれ以降の戦いの場を

大陸に移し、

明治27年の日清戦争で

勝利して近代国家の足掛かりとします。忠魂碑には

それぞれ1名の名前が彫られています。


次の日露戦争は日本の独立を確固足るものにした戦いですが 

やはり規模が大きく4名の名前が、

そして大正時代のシベリア出兵と

第一次大戦では

それぞれまた一名の名前が

彫られています。


武山地域出身の方の忠魂碑、

ここでいったん

歴史が途切れます。

第二次大戦の敗北で

慰霊碑が造られなくなりました。


そして戦後も落ち着いた昭和32年、

自分たちの地域で亡くなった人達を

きちんと顕彰しようという

運動が起きて、

日中戦争と太平洋戦争で

失くなった122名の名前が

彫られる事になりました。

大正時代までの8名に比べて

桁違いに多いです。


武山地域出身で

その頃市議会議員などもしていた

私の祖父も忠魂碑再建に参加しました。

戦争も遠い昔ですが

戦後も歴史になりました。


戦争の犠牲者を慰め、

戦後の復興に尽力したであろう祖父と

話がしてみたい気がします。

横須賀の歴史と共に

祖父がしてきた

仕事についても調べていきたいです。


ぜひ武にある忠魂碑へ

お出かけください。


☆出張講座など承ります


横須賀古地図くらぶへのお問い合わせはこちらまで