初代の横須賀市歌

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昭和12年、

市制30年を記念して

最初の横須賀市歌が誕生しました。



作詞北原白秋、作曲山田耕筰、

勇ましい内容の割に

優しいメロディで聴いてみると

ほんわかします。


三番まであり、

一番は横須賀鎮守府、

帝国海軍の威容を称えながらも

富士山を背景に軍艦の艦橋が

静かに揺れ動く感じが美しいです。


二番は横須賀海軍工廠や

浦賀ドックでの艦船建造の光景です。

横須賀の産業の代表、

次々に新鋭艦が完成していきます。

溶接の赤い火花の描写が鮮やかです。


三番は横須賀の力を結集して

皇国の護りを固め、

東アジアに打ち出でん、

という国家目標との

連携を歌っています。


そして残念ながら、

高らかに歌い上げたこの内容、

敗戦でことごとく水泡に

帰してしまいました。

戦後歌われることなく、

歴史の中に埋没して行きます。


しかし昭和12年の横須賀市民にとって、この市歌はとても身近に感じられたはずです。

明治維新から脈々と

近代国家建設に

いそしんできた日本人にとって、

強兵によって富国となることは

当たり前、

特に海軍力で独立と豊かさを

勝ち取る事で日本が

列強の一角を占めていた

事実は誰の目にも明らかだったのです。


この歌ができた

昭和12年2月15日の

市制記念日のころは

戦前日本が一番豊かな時代でした。

ドライバーが30万人を越えて

自動車旅行の案内書が出版されたり、

東京大阪の中心部は

夜遅くまでネオンが瞬き、

美食と娯楽が謳歌できました。

もちろん貧富の差、

都市と農村の格差は

今よりありましたが近代国家としての

表の顔は立派なものでした。


軍需産業で膨らませた

景気はとりあえずは欧米諸国より

早く世界恐慌を脱し、

軍事との危ういバランスを取りながら、お金を庶民に廻していました。


この年の7月7日、

盧溝橋事件が起きて

本格的な日中戦争が始まります。

今までお金を届けてくれた

軍事が今度は帳尻合わせを

庶民に迫ります。

昭和13年からは

「贅沢は敵だ!」の時代へ

入って行くのです。


続く



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