横須賀の夏みかん美味しいです。
子供のころよく庭や近所のたわわに実った
大きいのを食べました。
大きいのはそのままで、
小さいのは絞ってエードの元にしました。
芥川龍之介の「蜜柑」
女の子が投げたのは果たして普通のみかんだったのでしょうか、
あるいは夏みかん…
三浦半島のみかんの歴史についてちょっと調べてみました。
横須賀のみかんは観光農園のもぎ取り用で、
ほとんど市場に出回ってないそうです。
観光農園は古いものでも1970年設立とありましたので
大正8年の「蜜柑」は自生の可能性が高いような気がします。
横須賀のあちこちで見かけるあの夏みかんだった可能性、あるかな?
大正8年、横須賀は貧しかったのです。
数え歳で十三、四ですから12歳の女の子が
東京まで一人で働きに出されたのですね。
江戸の遊郭で馬堀出身の「高尾太夫」が人気を博したとあります。
川端康成の昭和31年の小説「女であること」に東京で働く
三崎出身の女中さんが出てきます。
ネットを見ていたら、普通の家の庭でたくさん実るあの夏みかん、
不思議に思っている人がけっこういるみたいで
東京にもたくさんあるようです。
横須賀名産というわけではないようですが
気候が暖かい分、ちょっとだけ甘いかもしれません。